蒲焼き五千円

- 中江克己:「お江戸の意外な「モノ」の値段−物価から見える江戸っ子の生活模様−」、PHP文庫、'03を読んだ。江戸時代は同じ日本のたった140-400年ほどの昔なのに、衣食住から交通通信手段まで著しく今とは異なる世界である。しかし、過去も、数字で解かれるとより鮮明に見えてくる。100万円ほどを懐に入れて、タイムスリップしたら現代と比較して江戸時代をどう感じるだろうか。なかなか楽しい本である。祖父が慶応生まれで私と10年は生活を共にした。私には感覚的に身近に感じられる時代である。江戸期は幕末を除けば物価はじわじわ上昇したものの総じて安定していた。安定期では10万円/両、25円/文ぐらいで物価換算するのが相場である。以下に書き上げる事例は安定後期あたりを標準にこの換算率で考える。
- 現代と比較するとき大切なのは中身が同じと言うことだ。その点和風食物は好材料である。中でも米は概して安定していて通貨と同じ意味を持っていた。1石が1両。これは米俵の時で、仲買からつき米屋で何分撞きかの白米になり庶民の手に渡る頃には4斗が1両だった。1升(1.55kg)100文(2500円)。今どきこんな高い米を見たことはない。それもあって水呑百姓は別として1町歩の中農になると、年に9両480文の収入になる。家族の米飯代、住居費はただだから、都会民と比較すると、優に年収30両ぐらいに相当する。これなら収入が高い部類に入る江戸の大工の年収と同じまたは少し上である。二八のそばは、屋台のかけそばで16文(400円)。最近は屋台のそばを近所では見かけないが、400円はそう非常識な値段ではない。江戸名物の鰻丼に蒲焼きが200文(5000円)は少々高い。だから表題にした。鰻丼は芝居小屋のファーストフードだったという。私が気に入っていた四国菊間の鰻専門店でも上が3500円程度だった。その頃は浜松の養殖鰻を使っていた。
- もう一つ二つ引用しよう。縄のれん。酒1合が20文(500円)から高くて32文(800円)。この間、杵屋といううどんのチェーン店に入ったら、ほろ酔いセットと言うのがあって、酒1合にちょっと肴が付いて700-800円だった。読売の千葉版によると、三越千葉店のレストランにはやはりほろ酔いセットがあって、こちらは500円という。地酒の宣伝を兼ねているので安いらしい。今店でコーヒーを頼んだら150-500円。150円はついでのサービスのときの料金である。時代劇によく出てくる掛茶屋なら4-10文(100-250円)。きちんとした店構えの水茶屋で茶汲女に給仕をさせると、茶代6文にチップが90文(計2400円)という川柳が残っているそうだ。昔大阪にノーパン喫茶というのがあった。忘れたが、あれもけっこう高い茶代だったのではなかったか。
- 人件費は総じて安い。大工の日当が銀5匁(8333円)、その他職人が3匁、髪結いが32文(800円)、灸が24文(600円)、按摩が全身をもんで48文(1200円)であった。今なら大工は2-30000円、理髪は1000-2500円、針灸按摩の東洋医術が2500-7000円する。スーパースターたちの年俸が挙がっている。千両役者というのは本当に年千両(1億円)であった。現代のスーパースターはプロ野球選手だろう。彼らとの比較からも、大雑把に私は江戸時代の平均収入レベルは今の1/3と思っている。中国の現代が日本の1/5だから、随分と高いレベルなのである。高い収入は高い文化レベルを示す。明治維新に入って容易に西洋文化を吸収同化した理由であると思う。上記は男子の職業である。
- では女子はどうか。当時の女子が表向きには職業を持たなかった時代だから、何か曖昧であやしい雰囲気を持っている。上記茶汲女でも、看板娘という表と売春を伴う客寄せ女と言う裏がある。湯女とてしかり。湯女のいる風呂は永楽銭1枚の銭湯に比べ15-20倍の風呂銭をとったという。岡場所の夜鷹の玉代が24文(600円)と記載されている。書いてないが、日雇人夫は100文も貰えなかったであろうから、大凡の目安はパートさんの時間給+αと言うところだろう。湯女の値とも合わせその安さに驚く。ただ「江戸遊里盛衰記」によると、江戸の公娼(格子女郎と記載)になると25匁というから4万円を超す。こちらはかなりの廓文化維持費と見栄代が入っている。売春価格は時代を超えた万国共通の物差しではあるが、基準をしっかりさせないと本当の比較にならない。
- あのころの交通費通信費は現代人の常識では容易に推測できないだけに面白い。まず町駕籠。日本橋から吉原大門まで5.8kmが2朱(12500円)、宿場から宿場まで平均で10kmを公定価格では250文(6250円)、ただ質のよくない雲助につかまるとその3倍。未熟練重労働者賃金と考えるとそんなものである。今タクシーを使うと前者が2000円まで、後者が3500円までで、もちろん酒代をねだられたりしない。面白いのは医者の往診費で、1里(4km)あると2分(5万円)とった。駕籠代より遙かに高いのはいわゆるabsence feeをがっちり取っているからだ。医は仁術、されど算術である。江戸は水都だった。猪牙舟が柳橋から山谷堀まで148文(3700円)。安くないが駕籠よりは大衆的である。ちなみに山谷堀は吉原の入り口である。通信手段の代表は飛脚だ。日本橋から芝大門、芝大門から品川いずれも24文(600円)。書状を江戸から大坂に6日間の速達便「定六」で頼むとなんと2両2朱(21.25万円)。今なら80円でもっと早く着く。文明の有り難さである。
- この本で江戸時代の物価が体系的につかめるようになった。しかし分かった頃に時代劇が下火になった。皮肉な話である。知らぬ内が華と言うが本当かもしれぬ。
('04/07/16)