勝者の混迷(上)


塩野七生:「ローマ人の物語・勝者の混迷(上)」を読む。第三次ポエニ戦役でカルタゴが壊滅してから、イタリア半島の内乱とも言うべき「同盟者戦役」が終わるまでを扱っている。55年ほどの歴史である。紀元前の話であるのに、時のローマ人の息吹が身近に聞こえてくる。私は半世紀以上昔、大学入試のために、好きでもなかったが、世界史を勉強した。でもこの分冊が取り上げる時代はほとんど記憶していない。だから内容は非常に新鮮に感じる。ローマ人が、歴史の変動に柔軟に対応して、世界国家覇権国家の地位を確固とする試行錯誤ぶりを描いて見事と思う。
ハンニバルは、盛者必衰の理の一つに、獅子身中の虫による内部崩壊を挙げたという。対カルタゴ戦という国難を乗り切った後のローマ軍は連戦連勝とは行かなくなった。第三次ポエニ戦役の勝将スキピオ・エミリアヌスは、その後のスペイン反乱鎮圧に、正規軍団を信用せず私兵で戦った。まだスパルタカスには間があるが、奴隷の最初の反乱がシチリアに起こり、鎮圧に苦労している。ローマ社会がどこか狂い始めた。筆者は理由の一つに、対カルタゴ戦という非常事態のときに取った元老院権限の強化が、その後も引き継がれた点を上げている。元老院は元々は勧告権限しかなく、建前上はあくまで主権在民だったのである。それが富の格差を拡大し、共和制ローマの中核を担ってきた血税納入(兵役)階級の減少をもたらした。
この矛盾を正そうとしたのが、元老院階級出身のグラックス兄弟であった。どちらも改革反対の元老院派勢力に、護民官身分のまま悲劇的な死を遂げる。護民官は一身上の不可侵権を与えられていたのにも関わらずである。兄のティベリウスは、旧守派デモ隊の鉄棒で殴り殺され、弟のガイウスは、暴徒に追いつめられた自殺に等しかった。兄は、国有地の借用権が富裕階級に集中している現状をより公正化して、無産者となった農民を自作農の地位に復帰させようとした。兄の非業の死から9年経って、弟は同じ護民官になり、兄の遺志を継ごうとした。兄の農地法は自作農奨励策だが、彼はさらに福祉政策も立案した。小麦法である。市価の半値程度で貧しい人に小麦を与える。軍隊法では、拡大された血税階級の負担を下げるために、軍備を自前でなく国家負担としたのである。失業者対策の公共事業法、経済活性化の植民都市法、元老院階級の横暴を防ぐ陪審員改革法、改革資金としての属州法、そのほか既存権益に次々と改革の手を打とうとした。彼らは時勢を早取りしすぎたのである。一方の元老院はもはや、現状に柔軟に対応する統治能力に欠けていた。
グラックス兄弟の母コルネリアの銘がある肖像台座が残っているそうだ。ローマで女性に肖像が捧げられたのは異例だそうだ。コルネリアは個人名にして個人名にあらずという。女の地位は低かったのである。コルネリウス一門の女という意味で、女は皆同じコルネリアだそうだ。脱線ながら、古代日本のこのクラスの女人はどんな名であったのだろうと思う。清少納言も紫式部も本名を伝えていない。系図に名が残っている女性は天皇家以外は珍しいのではないか。でも源氏物語を見ると主人公たちはそれぞれにいい名を持っている。親の姓と官位を使ったり、ペンネーム式に物語のヒロイン名を頭につけたり、あだ名であったりと自在に呼び名を変えていたのであろう。
覇権国家ローマは同盟王国の遺言執行人を委任されるケースが出てくる。カルタゴ戦を共闘したヌミディアは最重要同盟国であったが、そこに後継者問題が出た。北アフリカ随一の強国である。執政官すなわち総司令官に選ばれたのは平民出身のマリウスであった。彼は弱いローマ軍を立て直す。正規軍団の編成を、徴兵制から志願兵制に作り替えたのである。志願兵は農地を失った失業者が多かった。職業軍人化しても、これは大切なことだが、軍団が政治と遊離することはなかった。共和制下のローマでは軍人経験10年が政官界進出の最低条件だったからである。著者は、共和制時代のローマのリーダーたちが「小粒」でなかった理由も、この辺にありそうな気がすると書いている。アメリカ大統領選挙でしばしば軍隊経験が問題になるが、我が国でも、文武に経験を持った人材を政官界のリーダーにする工夫が、そろそろ必要なのではないか。マリウスは元失業者の熱い支持を受け、ヌミディア問題を解決し、結果として長期政権化の基盤を作ったことになった。
ローマは今やおいしそうな国である。北の未開蛮族が、ローマがヌミディア問題に手を焼いている頃に次々と南下してくる。アルプスももはや天然の要害ではなくなってきた。デンマークやドイツからというから、もはやガリア(ケルト)でなくてゲルマンである。彼らは20万30万単位で、部族移動をしてくる。新生なったローマ軍団はマリウス指揮の下、アルプスを越えてきた、兵数も優に倍する2部族を野戦で完膚なまでに叩きつぶした。それまでの会戦では体躯に優れるゲルマン軍に、ローマ軍は負け続けだったのである。新生ローマ軍の詳細が記されている。カルタゴ傭兵軍団との差は、志願兵といえども軍中心の重装歩兵はローマ市民あるいはローマ連合市民であることだろう。旧制度軍団との差で目に付くのは、職業軍人化が将官幕僚にも及び、市民集会での選出ではなく総司令官の任命によることとなった点であろう。
ローマ市民は、国勢の拡大により、貧富格差の増大のような問題は生じたが、恩恵にも浴した。ローマ連合市民は、ローマとの防衛共闘という意味が薄れて行くのに、かってのアメリカ黒人のように、犠牲だけ平等化され、経済利権の不平等が拡大していった。ラテン市民権(投票権のない市民権)の8部族はローマに反旗を翻し、新国家イタリアを建国した。私は今のイタリアの起源が紀元前90年頃にあるとは知らなかった。イタリアは、たった120kmしか離れていない土地に首都をおき、類似の制度に相似の貨幣までこしらえ、軍組織までローマ軍そっくりであった。新生ローマ軍にはラテン市民権の将官幕僚などずいぶん入っていたのである。両者の戦いを「同盟者戦役」という。戦中に「ユリウス市民権法」がローマ市民集会の手で成立した。「ローマ連合」の市民は皆ローマ市民になった。ここにいたってローマは、都市国家という国家形態を超越することになった。250年に亘って同盟者として共に戦った相手であったからこそ、戦中の譲歩が可能であったのであろう。戦役は終息する。基礎となる文明が違っている日米では、同盟が紙切れでないためには、共に戦う年月が世紀単位でないといけないと教えている。

('04/04/11)