ハンニバル戦記(上)

- 塩野七生:「ローマ人の物語−ハンニバル戦記(上)−」、新潮文庫、'02を読む。世界史を学んでからもう半世紀以上経っている。ローマ史について思い出せる内容なんてごく僅かだ。その中でハンニバルのアルプス越えは抜群に大きい比重を占めている。彼の勇戦ぶりは例外的に小学校時代から知っていた。塩野さんはローマ史関連作品以降どんどん有名人に出世なさって、イタリア政府からは誉れ高い勲章を受章されるし、最近のTOYOTA提供TV豪華番組「超歴史スペシアルU 古代ローマ夢と挑戦!!」ではコメンテーターに登場なさった。TVの内容は、残念ながら(塩野さんの責任ではないが)思わせぶりが多く長ったらしくて、私は途中で視聴を取り止めたが、塩野さんご本人にお目にかかれたのはよかった。
- 上巻は第一次ポエニ戦役がシチリアを主戦場に23年間戦われ、カルタゴの敗退で終了、スペインのカルタゴ植民地で、いよいよハンニバルが台頭し始めるあたりまでを扱う。第一次ポエニ戦役の戦勝で、ローマはシチリア、サルデーニャ、コルシカを支配下に納め、引き続きアドリア海の海賊退治に成功、これでほぼ東地中海(なぜか西地中海と書いてある、間違いだろう)の制海権を手中にした。カルタゴの敗因の一つに貿易立国派と農業立国派の抗争がある。前者が主戦派、後者がハト派とされる。ハンニバルは主戦派の名門に生まれた。父はシチリアでの陸戦に勇名を馳せたが、国内重視派(ハト派ないし海外戦消極派)の多い本国からの戦力には限りがあり、一方カルタゴ艦隊がローマ艦隊に破れたために講和を結ばねばならなかった。一門は植民地スペインに移り、そこで勢力を拡大し、一大別王国状態となり、捲土重来を期す。やがて20代に入ったばかりのハンニバルが登場するのである。
- シチリアが南イタリア同様にギリシャ植民都市の集まりであったことは、結果的にローマに好都合であった。ローマがギリシャ文化に傾倒していたからである。だからカルタゴとの分捕り合戦で地元の支持を受けたのがローマであった。ローマはイタリア半島で行ったと同様な巧妙な手段でシチリアの同化支配を行う。異民族の指揮は古代でも困難な事業に変わりはない。ローマは異民族をローマ市民あるいは準市民悪くても協力市民に仕立て上げる。それに反してカルタゴは占領地が北アフリカ沿岸で、そこの伝統的古代オリエントの支配体系を踏襲したのであろう、支配、被支配関係の明確な差別的扱いを行っていたようだ。ローマ市民は国家に血の税を払う、つまり義務兵役の軍隊を作る。カルタゴは傭兵主力にならざるを得ない。市民兵と傭兵の戦意の差は明らかである。数では互角以下でもローマ軍はしぶとく勝ちを収めている。忠誠心の差も明らかだ。ハンニバルの父が鎮圧しているが、敗戦のカルタゴは傭兵の叛乱に手擦らねばならなかった。
- ポエニ戦役陸戦の華はカルタゴの象隊である。ローマは象隊に免疫がなかったわけではない。四半世紀以前、南イタリアのターラント攻略戦で象隊、それもたったの18頭、を率いた傭兵軍に緒戦は手痛い敗戦を経験した。双方3万人に近い軍隊だったという。シチリアでも、本気になったカルタゴに象隊を送られまたも緒戦は敗北している。今回は150頭という大部隊であった。しかしローマ軍は経験を戦術に生かした。立ち直って象隊もろともカルタゴ軍を殲滅する。第二次ポエニ戦役でも、ローマはハンニバル率いる象隊(アルプスを越えたのが半数ならば15-6頭程度だったのだろう)に緒戦で遭遇する。この時はシチリアの経験を生かすことができた。ローマ軍の軽装歩兵の矢に傷ついた象は怒り狂い、象使いを抛りだし、敵味方の区別を見失って暴れ回ったあげく姿を消したようだった。
- 第二章にローマ軍団の記述がある。血の税を支払う市民に中産階級が増え、質量共に確実に充実してきた。資産が多い者ほど多くの血の税を払うのが義務であり誇りである。5年ごとの国勢調査で4軍団に市民の兵員配置が決まる。1軍団は4500名前後でそれに最大資産階級からの300人の騎兵がつく。兵役は1年で17歳から60歳までの男子、ただし現役兵は17歳から45歳までである。最高司令官である2人の執政官と24人の将官までは市民集会に決定権がある。貴族、平民の区別はない。4軍団への指揮官から兵士までの分配法はかっちり定まっている。実戦の先頭を行く小隊長が百人隊長と呼ばれ、隊員間の投票により選ばれる。百人隊長職は非常な名誉とされていたらしい。とにかく非常にシステマティックで紀元前の話かと驚かされる。宿営地建設までマニュアル化されていた。理由は指揮官から兵まで毎年代わるからである。同じ結果を生むにはマニュアル化が必要だった。人口は同盟国の方がずっと多いはずだが、ローマは最高指揮権を握る代わりに、同盟軍より多くを出兵した。多くの犠牲を払う代わりに指揮権を得た。こんな軍隊がお雇い兵の軍団より弱いはずがない。
- 第一次ポエニ戦役のもう一つの注目点は海戦である。戦前のローマは陸軍国、カルタゴはいわば海軍国である。それなのになぜローマ側に軍配が上がることになったのか。私には日本海海戦におけるバルチック艦隊と東郷艦隊の差に似ていると感じた。「バルチック艦隊の遠征」「バルチック艦隊の壊滅」(ノビコフ・プリボイ著、原書房)は帝政批判書だから割り引いて見なければならないが、それでも貴族平民の階級がそのまま持ち込まれているロシアと、悲壮な決意のローマ型市民兵の日本との差は分かる。数では劣勢ながら最新鋭艦揃いの東郷艦隊に対する旧式艦も含まれるロシア艦隊の差と、最高指揮官・東郷とロジェンスキーの差はよく知られている。ローマはカルタゴから捕獲した最新戦艦の模倣船を作り、それにさらに敵艦に乗り移るための桟橋を用意した。桟橋から乗り込んだ軍兵が白兵戦でカルタゴの水兵をなぎ倒す新戦法を使った。
- 筆者はカバーのカルタゴ金貨の説明で、ポエニ戦役も経過を追っていけば、長期戦とは経済力が優れている側が勝つとはかぎらない、ということも示してくれるのであると云っている。私はそれに一言、体制に大きな隔たりがあれば、と付け加えたい。ローマ銀貨は中巻のカバーに出てくる。第二次戦役になる頃にローマも広く通用される貨幣を鋳造できるようになった。
('03/11/18)