乗るだけの一人旅

- ただただ乗り物に乗るだけという一人旅をやってみようと決心した理由は、勿論「大人の休日」でJR東日本鉄道線が新幹線を含め乗り放題であるのと、クルーズ船のクラブ誌に世界一周100日余りを、一度も寄港地に上陸せずに過ごしたご婦人の噂話が載っていたからである。まだ戦後であった若い時代に、私は、奈良のどこかだったと思うが、電車や汽車の写真を取って全国を旅をしている人に出会った。乗り物マニアて何だろうとその頃から関心を持っていた。私は大人の休日3ヶ日の2日間をこの目的に使うことにした。でも最初の日には、ついでという意味もあって、宮城県立東北歴史博物館の見学を入れた。前回クルーズで訪れたときには充分に時間をとれなくて、心残りであった博物館だからである。今回見学には3時間を使った。
- 縄文時代の住居と人々の生活が再現してある。ここの竪穴式住居は、あちこちで見るそれとは異なり、壁と屋根の区別があり、屋根は切り揃えた茅の円錐束を積み重ねたような外観になっている。この地方にも全長100mの前方後円墳があるという。弥生人の進出が遅かった地方と思っていたので少々意外であった。古代遺跡の代表が多賀城祉で、そこの役人の仕事ぶりを実寸大人形で展示していた。近世の仙台城下町の絵図と模型があった。もっとも繁盛していた通りは、札の辻と云う高札場と城を結ぶ直線に沿った道路である。幅広くはないが両側に大店が並び、一瞬日本橋の模型を思い浮かべた。屋根両端に竜の形をした瓦が乗っている。土蔵作りが多い。卯建を上げた家はないようだった。絵図には、札の辻が、お城近くで三角状に突き出た武家屋敷に妨げられて、通し視出来ないような構造になっていることを示す。防衛上の理由なのだろう。仙台藩は寺町整備はやらなかったようだった。
- 本館の外に今野家住宅が移設してあった。ボランティアのおじいさんが色々説明してくれる。今野家は代々村の肝入つまり村長を務めた家柄であった。ホンヤの建設は江戸中期である。茅葺きの杉作りである。百姓は杉しか使わせてもらえなかったという。建坪70坪と広い。村の寄り合いなどに使う必要があったからだろう。畳部屋は奥の8畳の間2つである。風呂と便所が別建物になっている。大便器が二揃えあって、その一つは家長以外は使えなかったという。中門は馬屋と物置小屋を兼ねた大きな建物だった。
- その日は北上に泊まった。水量豊かな北上川々辺の宿でなかなかの環境に満足した。北上駅からはいよいよ「乗るだけの一人旅」である。東北本線を普通電車で盛岡へ。車両は2両編成。盛岡から宮古までは快速だった。盛岡から2-3駅過ぎるとトンネルであった。結構馬力を挙げて峠まで駈け登る。軌道は曲がりくねっている。峠を過ぎ平地に出るまで民家にお目に掛からなかった。乗客のほとんどは老人で、一目で「大人の休日」利用の夫婦連れと判る。これだと平日は殆ど乗客などいないのではないか。
- 宮古で三陸鉄道に乗換。そこから久慈に行く。快速に接続する列車は観光電車の姿をしている。内部にはシャンデリア風照明器具に木目のある座席と車輌壁面、それから飲み食い用の補助テーブルまで付けてある。三陸鉄道は半分以上がトンネルのように感じた。初めの内は、トンネルを出ると猫の額ほどの平地が見え、駅があり、またトンネルという繰り返しであった。リアス式海岸だからそうなるのだろう。途中電車が徐行し観光案内をする場所が1ー2ヶ所あったように思う。むしろJR八戸線の方が海岸がたくさん見えた。八戸へ半分ほど近づいたあたりから、白波が目立ち始めた。植物相について気が付いた一つは、宮古にいたる山道には赤松が多かったのに、海岸には黒松がほとんどであったことである。もう一つは、北に行くと林檎畑がみられるようになることだ。八戸に昔来たときに見たウミネコの繁殖地・蕪島が見えた。弁財天の鳥居がある。そこらへんからこの八戸線は時間が掛かる。駅数がまるで市電のように多い。新幹線八戸駅は郊外に在来線駅舎と同じ場所にあり豪壮であった。
- 「乗るだけの一人旅」は今一つ印象に乏しいものであると思った。旅では人との距離、歴史との距離、事物との距離がもっと近寄らねば味気ない。
('03/10/14)