昏ルルニ未ダ遠シ


俳優・河原崎長一郎が死んだ。死亡記事の前夜に、NHK再放送の「清左衛門残日禄」最終回の「早春の光」を見ていた。長一郎演じる平八が、中風の不自由な身を労りつつ、友の見舞いに懸命に足を運ぶ姿がラストシーンにあった。中風とは脳溢血による半身麻酔症状などを意味する。読売には、長一郎は丁度このドラマが造られた'93頃に、脳溢血の一歩手前とも云える脳梗塞で休業を余儀なくされたことがあると書かれていた。ドラマはわが運命であった。つい先日このホームページに「下諏訪宿」を書いたが、その中でTVドラマ「鬼平犯科帳」の「正月四日の客」における長一郎の客演に触れたばかりでもあった。個性派名優の死をお悔やみ申し上げる。
あらためて原作の藤沢周平:「三屋清左衛門残日禄」の「平八の汗」を読む。平八はこの時代小説のあちこちに顔を出すが、「平八の汗」では準主役級で登場する。若年からの友達とは云え、剣の腕も伸びず、気の弱い平八、臆病と言えるほどに真面目で誠実、ただただお役目大事に生涯を送った平八を清左衛門は心の底では見下していた。その平八の一世一代の芝居に、清左衛門がまんまと引っ掛かる話である。平八は見事に清左衛門を謀ったが、小心翼々の彼は、襟元から頭からぼうぼうと湯気が立つほどに大汗をかく。ドラマではセリフまであらかた原作に忠実だったように記憶する。長一郎はここでも見事であった。観客は、自分の周囲のだれかれと重ね合わせて、長一郎の平八を見たことであろう。
主人公清左衛門の出来不出来はこのドラマの成功不成功に決定的な影響を与える。藤沢周平の時代小説の主人公に共通とも云える、この風格ある侍を仲代達矢が無難にこなしている。一応は功成り名遂げた成功者だが、妻を4年前に亡くしている。彼を内で世話するのが息子の嫁で、清左衛門は常日頃から彼女に及第点を与えている。南果歩が演じるが、上士の末娘と言う育ちと、持ち前の勝ち気と明るさを立派に表現している。外で彼の面倒を見るのが小料理屋のおかみである。おかみは30がらみの男好きのする女だが、男運に恵まれない。ドラマではかたせ梨乃が満点の女ぶりを見せる。彼女の脂ぎった姿態は原作以上である。
この雑文の題名は、残日禄(日記)の意味として清左衛門が語る「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」から取った。清左衛門は君側の用人から隠居し暇つぶしに残日禄を書き始める。私も引退後の徒然にホームページを手がけ始めた。なんだか心境が似ているのである。ただ彼が引退したのは52歳となっているから、今なら男としては働き盛りだ。平八はさらに1年早かった。年齢による肉体的条件は今も昔もそう変わらないだろうから、早い引退は結局の所平均余命の短さから来るのであろう。
清左衛門のころは乳幼児の死亡率が非常に高かった。5歳までが人生の第1関門だった。だから5歳の平均余命で比較すると、当時は50歳弱(鬼頭宏:「人口から読む日本の歴史」、講談社学術文庫、'00)、今は多分72歳ぐらいの筈だ。清左衛門や平八は当時の平均余命ギリギリあたりで隠居している。定年制ではなかったようだが、社会のサイクルから云って合理的である。現代日本は急激に伸びた平均余命のために、定年をさらに5年ほど伸ばすべきである。

('03/09/22)