稲荷山宿

- 長野から屋代へまわる。稲荷山宿見物が第1の目的である。稲荷山宿とは北国街道の丹波宿から中山道洗馬宿に向かって別れる北国西街道(善光寺街道)の最初の宿場である。しなの鉄道は第3セクターだと言っても昔の信越本線だから結構客が乗っている。屋代は9/1から千曲市になったばかりである。それ以前は更埴市と云った。市営のバスが停まっていたので、稲荷山経由というのに乗った。稲荷山温泉というバス・ストップがあったので、お歳の運転手に聞いたら目的を聞かれ旧宿場街観光だと云ったがさっぱり通じなかった。土蔵の町を見物に来たと言い直すと、どんどん壊されて駐車場になっているよとなんだか心細い返事だった。なんとかそれらしい場所を聞いて歩き出す。何のことはない。次のバス・ストップだったのである。
- 稲荷山宿・蔵し館も入館者は私一人であった。管理人が土蔵の資料展示室へ案内し、鍵を開け、クーラーなどの電源を入れてくれた。蔵し館は、旧主が東京移転の際に町に寄贈した建物で、古い商家の佇まいがよく保存されている。未公開の土蔵がさらに一個あって、そこはまだ旧主が資料を保管しているのだという。もともとは貴重な質草などを保管した倉庫だったそうだ。展示室の中に稲荷山紹介ビデオがあった。ここも養蚕と共に発展した町である。鉄道とか国道の道筋から外れたためにやがて衰頽した。もっとも管理人の話では鉄道敷設のときは稲荷山は反対したそうだ。中学生らしい数人の女の子がやってきた。お行儀が良かった。管理人がお茶とお菓子を出してくれ、話し込む。私が、今も歴博でやっているドキュメンタリー災害史の中に、稲荷山宿の展示を見たのがきっかけで訪ねてきたと云ったので、話し相手になってくれたらしい。
- このおばさんの薦めに従って、本陣門を見、町の裏通りから土蔵群を眺めた。戦国の頃には小さな砦があったらしい。石垣も何もないと言うのでそこは省略した。旧街道はたいていの宿場がそうであるように、外からは見通せぬようになっている。ここでは2回直角に曲がらないと進めないようにしてある。妻籠宿や海野宿では枡形だった。下諏訪宿では確か出入り口の道を曲げてあった。宿場町としては妻籠宿や海野宿ほどには保存状態は良くないが、それでも一応昔の雰囲気は偲ばれる、下諏訪宿といい勝負かなと感じたあと、駅へ一旦引き返すことにした。戻りは炎天下を歩くはめになった。
- 千曲川を渡るころになるとやけにしんどくなった。風があったのでまだ良かったのかも知れない。橋からは田毎の月で有名な棚田が見える。観月会が催されるらしく、屋代駅から姨捨行きの臨時バスが運行されているのを見た。前日松本から長野に電車で通り過ぎたときも、眼下にこの棚田を眺めることが出来た。駅で云えば姨捨駅付近だ。姨捨駅は特殊な構造で、本線が下を走っており、駅に入る普通電車はスイッチ・バックするのである。御蔭でじっくり眺められた。松本からの電車は、それはそれはトンネルの多い鉄路で、山国を実感させられると同時に、長野は松本とは別のちがう盆地だと認識させられるコースである。複線化工事が進行中だが、まだ完成区域は途切れ途切れだ。
('03/09/19)