下諏訪宿

- 蓼科で同窓会があった。ついでにと長野観光小旅行を思い立った。台風14号が宮古島、韓国、北海道のコースを辿ったために、日本海側の方が太平洋側より暑いというフーエン現象が起き、長野県も東京地方より暑い日が続いた。多分旅行先の最高温度は30℃を少し超していたと思う。涼しさ対策の衣服を鞄に準備していたが、全く意味がなかった。
- はじめに降り立ったのは下諏訪駅である。ここは中山道に甲州街道が繋がる宿場であった。下諏訪町立歴史民俗資料館に入る。もともとは明治初年建築の商家という。なにか海野宿で見た資料館と造りが似ている。二階建て木造で、窓には格子がはまっている。間口は狭いが奥行きがあって、庭を通ると蔵が建っている。客は私だけだった。管理人が色々説明してくれた。展示品の1つ、「木曽路名所図絵」の下ノ諏訪宿には真ん中に温泉風呂3棟が描かれている。裸の入浴者が丸見えの、一番小さい建物は無料だったのだそうだ。清潔好き日本の原点である。
- 旅籠の飯盛(売)女の年季奉公証文には6年3ヶ月で54両前渡し、逃亡の際は親、仲介人が全責任を取ると言った内容だった。女中の給金が年に1-2両がせいぜいだった時代だから、この年季奉公は女郎としての契約である。維新のころの出来事の1つに偽官軍事件があった。赤報隊という先走り官軍が中央の指令を守らずに暴走し処刑になった話で、諏訪清陵高校の図書館報(H11.2.26)を渡された。地方史発掘で高校生が勉強した結果のようだった。明治に入って早々の、諏訪大社下社秋宮の森をバックにした色付き写真は、宿場街の雰囲気を伝えている。
- 資料館で、本陣が公開されていることを知った。脇本陣は何度も建て替わって今は旅館になっているという。本陣問屋役の岩波家は下諏訪のかっての大地主で、岩波書店の岩波茂雄はその一族であると、これは私のあとにきた物知り顔のおじいさんが云った話である。自慢の庭園は、少々荒れていたが、池に高さのある滝が豊かな水量を注ぐなかなか見応えがある庭であった。諏訪大社の森、元々は敷地内であった裏山などを借景に立派な構成である。しかし昔はなかった建物が少しづつ景観を壊し始めている。隣の旅館は本陣を分割して作られた分家の経営だそうだ。そこが見晴らしのいい高台に別館を造っている。庭には目障りであった。和宮ご降嫁時のご一行がお泊まりになったという。
- 諏訪大社下社秋宮にお参りした。御柱祭のときには大きな柱のように思ったが近づいてみると、御柱は存外に細かった。4本の内2本は前面にあって見えるが、残りは垣根の奥だそうだ。観光客がぞろぞろ記念撮影している。しかし拝殿前で柏手打って拝礼する人はいたって少ない。近頃どこのお宮でも見かける風景である。信心のあるなしにかかわらず、礼儀作法はわきまえるべきである。
- 本陣の受付のおばあさんが云っていた手打ちソバの店はお休みであった。駅前のおばさんに聞いた手打ちソバの店も訪ねてみるとお休みだった。次の訪問先・岡谷でも探したが、そば屋が見付からなかった。善光寺前にはたくさん店があったが、早朝故入れなかった。信州ソバは有名である。しかし観光シーズン以外とか観光ルートを外れた場所とかでは流行らない、つまり土地の人たちはそば屋の蕎麦なんて食わないらしい。これは意外な発見だった。この旅でそば屋に入ったのは一度だけで、そこは長野市の中心街にあった。ホテルで見たチラシに載っていた店である。客は始めから終わりまで私だけだった。蓼科ではソバの白い花を見たから今は古ソバである。だから人気が今一なのかも知れない。夕食時だったから時間帯が悪かったこともあろう。
- 生粋の土地っ子という女主人に、つゆにネズミ大根を使うのか聞いてみた。私はソバ通ではない。でもネズミ大根を知っているのはTVドラマ「鬼平犯科帳」の御蔭である。その「正月四日の客」に山田五十鈴がそば屋の女主人で客演した。この店が正月四日に限って客に出す真田ソバを食べに、彼女と同じ松代出身の、河原崎長一郎演じる盗人がやってくる。信州ソバとは云わず真田ソバと言い、ネズミ大根は上田から松代にかけての痩せた畑の作物だとセリフで視聴者に教える。だから聞いてみたのである。答えはイエスだったが、期待していた特別に辛い大根ではなかった。
('03/09/19)