ローマは一日にして成らず

- 塩野七生:「ローマ人の物語−ローマは一日にして成らず(上)、(下)−」、新潮文庫、'02を読んだ。わが国の文明に占める合理科学主義の比重は一段と高い。その起源は云わずと知れたギリシャ・ローマ文明である。だからか、私などは古代文明では中国・インドよりもギリシャ・ローマのそれに熱いと云える。NHKスペシアル「文明の道」が「塩野ローマ」を読むきっかけを作ってくれた。「文明の道」の第1集は「アレクサンドロス大王・ペルシャ帝国への挑戦」、第2集は「アレクサンドロスの遺産・最果てのギリシャ都市」、第4集は「地中海帝国ローマ・東方への夢」であった。ローマのイタリア統一が前270年で、アレクサンドロス大王が死んだのが前324年である。物語の始まりはアレクサンドロスより遙か昔のクレタ文明あたりから出発している。ローマと題しながらギリシャを含む壮大な物語である。
- ローマがまだ東京都の1/10程度の領土しかなかった時代に、ローマは当時の先進地域ギリシャのポリスに3人の元老院議員からなる視察団を送る。前5世紀中頃であった。アテネは制海権を手中にしてペルシャの勢力を一掃し、経済版図の拡大で我が世の春を謳歌しつつあった。ペルシャ戦役では盟友であったスパルタは、ペロポネソス同盟を足場とする対抗勢力であった。民主制のアテネは軍事立国のスパルタとは所詮相反目し合う運命であった。アテネの優勢は卓越した政治家ペリクレスの手腕に負うところが大きかった。彼の改革による実質ある直接民主政は、彼のような大政治家の存在によってはじめて充分に機能しうるものと、ローマの視察団は観察したに違いないと著者は云う。民主政のシステムとしての弱点を悟ったのである。アテネは彼以後衆愚政に堕落してゆく。史家が引用したペリクレスの言葉の中で私がもっとも惹かれたのは次の言葉である。「ここアテネでは、政治に無関心な市民は静かさを愛するものとは思われず、市民としての意味を持たない人間とされるのである。」投票率35%の埼玉県知事選挙を聞いたら、彼はどう云うだろうか。
- スパルタの記述には驚かされる。現代の軍閥あるいは独裁政権が支配する国家にそっくりなのである。スパルタ人とは北ギリシャの征服民族ドーリア人の、純血を尊ぶ、たかだか1万の自由市民とその家族だという。アテネ人と同じ血の被征服先住民アカイア人は農奴化され、それに外来のギリシャ系商工業者が合計してスパルタ人の24倍いるという。この計算では、なにもかも入れると、スパルタ支配圏内には100万人ほどの人口があったことになる。狭い領土にしては少し多すぎる気がする。日本全土でも100万人も居らなかった時代である。
- スパルタ人は生まれながらにして軍人で、軍役だけが唯一の仕事であった。アリの巣に見られるカースト制そっくりだ。インドのカースト制では兵役だけという階級はなかった。ある種のアリは純血の兵隊アリが別種のアリの巣を襲い卵を略奪し育てる。卵から孵った被略奪身分のアリは生涯その巣の働きアリとして終わる。チャイロスズメバチがモンスズメバチの巣を襲って、羽化したハチに我が子の養育を担当させるのも似ている。7歳になると親から離されて寄宿舎生活に入り、軍人になるための鍛錬を受ける。
- 彼らは読み書きの外は、高尚な内容の書物も活発な議論も歓迎されなかったという。彼らの美徳は勇猛と服従と愛国心であった。スパルタからは戦士以外は何も生まれなかった。アテネはペルシャを宿敵視すると同時にスパルタを仮想敵国視していた。スパルタについて一つ注意して置かねばならぬことは、この軍事立国制の国にも市民集会があり、市民は全て出席する権利があったことである。ローマも含め著書に出てくる地中海北岸国家全部の特性で、他の大陸の専制君主国家とは著しく異なっている。財産権、選挙権、被選挙権、裁判権、控訴権等々の権利とともに「血の税」という義務を持つのが市民である。「血の税」とは兵役義務である。経済的代替行為、つまり兵役を金で免除して貰うことは大変不名誉な行為であった。「血の税」は現代日本人に一番欠如している意識である。古代地中海北岸国家では、自由と秩序と言う二律背反の政治理念のバランスを、自らの状況に合わせつつ上手に舵取り出来た国が栄えてゆく。
- ローマが、イタリア半島の取るに足らない1小都市国家から、一大世界帝国に発展する理由が色々出てくる。政治、軍事、経済。軍事では前6世紀頃の人口統計と資産力に応じた軍制が分かっている。細かい規定があって、子のない未亡人は、共同体への義務を果たしてないとみなされ、軍馬の維持費を払わされている。ドイツ連邦憲法裁判所が「子供の有無を保険料に反映すべし」とした判決の原点が見付かったようで愉快であった。周辺は何処も類似の軍制だったと思うが、細部まで明文化して恣意が入らぬようにして、施政者への疑惑を絶ち、戦意高揚に資した点が優れていたのであろう。
- 頭角を現したころ、予備軍入れて2万とはずいぶんな軍事国家である。当時は国民皆兵だからこそ出来たのだろう。戦術は画期的であった。てんでバラバラであった戦場で整然と隊伍を組んだ戦列で連戦連勝だったという。すなわちこの地方でははじめて組織戦が出来る軍隊を創設したのである。経済は省いて政治の特徴は、市民に対しても異国民に対しても柔軟な姿勢を維持できたと云うことであろう。市民の声を吸い上げて不満を抑える。異国民にも、例外はあるが、市民権を与えてローマ化する。多神教の論理は異質を包み込むのに好都合であった。一神教との相違を色々書き立ててある。ある時はそれが倫理道徳の正し手を法制に求める結果となり、ある時は王政から共和制に移行する結果となった。共和制と言ってもトップが終身制の王から任期制の執政官に代わっただけで、市民集会も元老院も健在なのである。
- 巻末に著者がもっとも心惹かれた原史料3点について解説している。3点ともギリシャ人の著作である。書かれた時代、ローマの興隆と反比例するようにギリシャは混迷凋落の一途を辿っていた。躍進期の日本に対し、欧米人がなぜ日本がと問いかけたのと同じ切実さが見られると云う。心惹かれる理由の一つに、理念に縛られない史観を上げている。キリスト教の論理や価値観からは自由であるし、フランス革命以後のお題目、自由・平等・博愛の理想にも邪魔されず、結果として現実を直視できているという。著者がギリシャ人の著作から引き出したローマ興隆の要素は3つある。重複するが再掲してみよう。1つは宗教が偏狭的狂信的でなかったことである。2つは王政、貴族政、民主政の利点を生かす独特の政治システムの確立にある。3つは他民族を広く同化包合する事が出来るローマ人の寛容性にある。この3点はすぐ気が付くように互いに関連し合っている。ことに1は大切である。同じ神を信じない人間は敵か非人にしか見えないという、よく一神教徒が犯す過ちを犯さなかった。キリスト教が普及し出すのは大帝国化したのちである。
- 中部南部イタリア半島を統一できたのが前270年という。建国以来500年が経っている。中期以前は同じラテン民族間の抗争であった。後期には本格的な他民族との戦争が戦われる。連戦連勝の誉れ高いローマ軍であったが、異民族には再三苦杯を喫する。だがローマ人の偉大さは敗戦処理の巧みさと、ただでは起きない再起ぶりであった。終局には勝利を勝ち取り、ローマ領化してゆくのである。まず前390年のケルト族の襲来。ケルトとはギリシャ語でラテン語ではガリアという。当時のケルト族は黒海からフランスにかけて跋扈する大民族だった。ハンガリーやチェコに観光旅行したときも、こんな所にと思うような場所でケルトの遺跡の話を聞かされた。それが一時ローマを占拠する。
- その次が山岳民族サムニウム族との戦争。最後が南伊ギリシャ植民地の征服。今でもイタリア海軍基地であるターラントは、当時は南伊でもっとも繁栄していた通商都市国家であった。ターラントは、その「銭力」で傭兵した「戦力」で、国家を防衛する伝統を持っていた。今回の傭兵は後世あのハンニバルが名将と讃えた北部ギリシャ王国エピロスの王ピユロスとその軍隊であった。半端な軍隊ではない。3万に近い兵士に20頭の軍象がついている。これが自国をほったらかしにして数年間傭兵生活をするのである。アレキサンドロス大王のような自国領土の拡張が目的ならいざ知らず、傭兵なのである。どうも当時の軍隊は分からない。
('03/09/10)