新・平家物語


NHK BS2で吉川英治原作の大映映画「新・平家物語」シリーズ3本が放映された。「羅生門」「西鶴一代女」「雨月物語」「地獄門」「七人の侍」「山椒大夫」などが次々に世界の国際映画賞に輝き、日本映画界が黄金期に入った時代の大作である。シリーズ第1作は映画館で見た。私はまだ学生であった。強訴の神輿に市川雷蔵の清盛が矢を射かけて、新時代の到来を予告するシーンは強烈であった。監督は溝口健二、主演女優は久我美子と木暮実千代。溝口は既に文芸路線の大監督であった。上記受賞作品6作中3作までが溝口の監督作品である。久我は初の華族出身と云うことで注目を集めた新人、木暮は田中絹代の対極にいるベテランだった。いずれをとっても大映のラッパ・永田雅一の意気込みが分かる作品である。
もう一度見て時代考証が入念なのに感心する。代表が市の風景である。時代を遡れば遡るほど資料は逸散して民俗事情など分からなくなる。庶民の生活を群像として描けるのは、京師でもせいぜいこの平安朝末期までだろう。私は全くの素人だが、この映画が世に出てから半世紀弱の間に、暇を見ては覗いて歩いた博物館や美術館の知識による私なりの結論である。市井の喧噪は多分そんなであったろうと思わせる精一杯見事な背景になっている。そこへ軍鶏を抱えた少年が駆け込んでゆく。のちの平大納言時忠である。鶏合わせ(闘鶏)は絵巻物などで見た憶えがある。小説の方には鶏合わせのシーンがあるのだが、映画にはなかった。しかし若き清盛、時忠の血気盛んな姿を偲ばすに十分な撮り方である。
冒頭、平家軍団が、縛り上げた海賊の捕虜を引き連れて都大路を凱旋してくる姿は一幅の絵で、流石に溝口と思わせる。カラー映画は色彩が第一である。古いのによく保存されている。その武者の列を脇に跪かせて荒法師の列が通る。時代をくっきりと印象付ける画面である。後半になって、昇殿を許された忠盛が威儀を正した装束で立派な御所車に乗って出てゆく場面がある。御所車とは対照的に、家門はやっと車が通る大きさで、その門も腕木は傾き破れ目が目立つ。屋敷の築土は崩れ草が生えている。武士はそれまで貴族階級に飼われる地下人の身であった。彼らの貧しさとこれからの隆盛を暗示する。タイム・スリップさせてくれると感嘆した。
時忠の姉・時子(久我美子)が清盛の正妻になる。女は扮装と化粧で化ける。だから特に時代劇の古い作品となると、顔かたちだけでは誰と自信を持って云えない場合が多い。それ故に声の質は識別に大切な因子である。あの鼻にかかる独特の声で、久我は後々のスターへの道を約束されたと思う。時子、時忠はもとは藤原一門の末席に連なる下級貴族だった。それが放氏(藤原氏よりの追放)に会い平氏を名乗ることになる。末の妹・滋子は入内して高倉天皇を生む。見事な変身を遂げた一族である。
清盛の家族は複雑である。父・忠盛は白河法皇から祇園女御(木暮実千代)を下賜されて妻とした。その時既に女御は清盛を孕んでいたことになっている。子は小説には5人まで書いてある。祇園女御が去ったあとかねて噂のあった官女・有子を後妻に娶ることになっている。その連れ子が3人、北の方になってから1人とたいそうややこしい。時子、滋子以外の姉妹は表に出てこない。だから子供はもっと多かったはずである。小説よりは人間関係を簡単化してあるとは言うものの、映画だけでキチンと理解するのは大変だろう。いくら長者の権限絶大の世の中でも、こんな複雑な家庭を結集団結させて相乗効果を発揮させた清盛は、それだけでも非凡な器であったと言えるだろう。
歴史の背景、文化の背景を知るものには素晴らしい映像である。だが、生地では理解できそうもない外国人には、美しい以外の中身には殆ど触れようがなかったのではないか。この映画が国際映画賞のなにかを取ったとは聞かないのはそのせいであろう。
第2作には「義仲をめぐる三人の女」と言う副題が付いている。監督は「地獄門」を撮った衣笠貞之助で、長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、高峰秀子とこれまた超豪華キャストである。京が巴御前、山本が木曽の女兵・山吹、高峰が関白の息女・冬姫を演じる。前半のクライマックスは倶利伽羅峠の戦いである。越中加賀の国境にある標高の低い峠だ。史上、1183年だから820年前の5月に、木曽義仲軍は、狭い峠道を進軍してくる平維盛軍10万をいわゆる火牛攻めで追い落とす。だが映画には角に松明をつけた火牛が暴走して駆け下りるシーンは出てこなかった。広いロケ地を確保できない日本では牛を群で暴走させるのは危険すぎてやれなかったのだろう。キャストがいいだけ残念である。巴が髪を染めた斉藤別当実盛を討ち取る。頼朝軍に破れて囚われ、自害しようとする場面、鎌倉に鎧姿のまま送られる場面など、京はなかなか役に填っていた。山本は野性味溢れる女の兵隊の筈だが、その味を出しかねている。高峰は深窓の姫さまを無難にこなした。ちょっと声が低くて、むしろ山本の方が姫役向きだったのではないか。
第3作には「静と義経」の副題が付けられている。監督は島耕二、義経を菅原謙二、静を淡島千景、百合野を香川京子が演じた。百合野とは頼朝が戦功抜群の義経に贈った妻である。この映画では人間関係は徹底して人口に膾炙している通りに善玉悪玉をはっきり区別して描いてある。頼朝は猜疑心強く冷淡無慈悲なのに、義経はそんな兄を盲目的に無私無心に慕う。製作当時としてはこれで良かったのだろうが、今こんな作品にすれば観客はさっさと席を立つだろう。でも見どころはある。静が鎌倉八幡宮で頼朝、政子ほかの前で白拍子として奉納舞いをする。「しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」で始まる義経思慕の歌に頼朝が斬首を命じるが、政子の取りなしで舞が続く。太刀に烏帽子姿の静御前の舞は3部作のラストシーンとして圧巻であった。

('03/08/17)