武蔵と京都観光一日乗車券


久しぶりの京都であった。連休の最中であった。鷹峯から紫野へ歩いてみた。NHK大河ドラマ「武蔵」を見ているせいか、彼が生きた時代の遺跡が目に付いた。
先ず源光庵へ。観光タクシーに乗ってやって来た多分高校生の修学旅行グループがあり、彼らに運転手が説明している。天井はいわゆる血天井で、三成の伏見桃山城攻めで討死あるいは自刃した鳥居彦右衛門元忠一党の血の跡だという。手形だとか足形だとか鎧跡だとか色々説明するのを横で聞いていた。少し離れて光悦寺がある。本阿弥光悦が開いた霊屋である。ドラマではお通と城太郎が彼の屋敷にしばらく厄介になる。門からお堂に至る参道にそって両脇の木立が新緑のアーチを作る。参道の幅がそこそこなのがよい。道の石畳脇にシャガがたくさん花を咲かせている。有料域にはいる。鷲ヶ峯、鷹ヶ峯、天ヶ峯を借景にする自然庭園に茶室が点在する。茶室の他には光悦垣ぐらいが人工物で、仕切の中は万事を自然に任せた佇まいである。ハナミズキの他にはこれという木本の花はないようだった。
光悦寺のあと常照寺へ。なんとはない小寺であるが、光悦寺と同様に丘の起伏を上手に利用し、釈迦谷山を加えた4山を借景に風雅な境内になっている。吉野太夫が帰依した寺として有名だそうだ。吉川英治の小説「宮本武蔵」に出てくる吉野太夫が実在の人とは知らなかった。彼女が寄進した朱塗りの山門が吉野門と云われている。彼女も、彼女を身請けした豪商文人灰屋紹益もここに眠っている。写真帳にかむろを従えた太夫道中の記録が保存されていた。寺の記念行事として年々にやっているのだろうか。吉原の太夫道中は中止になり、今は島原の太夫道中だけが残っていると思っていたが、ここにもあった。しかし私の感覚では歴史上は恥部に入る遊郭の遊女の行進などあまり記念行事としてはゾッと来ない。
近くに喫茶店が一軒あった。初老の女主人と、私が中学生であった半世紀以上昔に氷室へクロシジミを採集に出掛けた話をした。氷室とはさらに北に何kmかの位置にある山林地帯である。クロシジミとはシジミチョウの1種だ。今も生息しているのであろうか。地図で見ると氷室神社あたりは氷室町となっていた。京都市北区西賀茂である。NHK金曜時代劇「はんなり菊太郎−公事宿事件書留帳−」には、夏に宮廷へ氷を運ぶ輸送隊が出てきたが、荷は氷室で貯蔵した天然氷であった。
道の両側に農家風の家が続く。古くからの街道なのであろう。道幅は狭い。御土居の遺跡を見てから今宮神社に行く。面白い札を見つけた。紙で折った人形に名を入れて神社に供え、「蘇民将来子孫也」と書いた札を身につけておくと災いが及ばないと云う。信じたわけではないが孫のために買い求め、人形に名を書いてお供えした。東門を出てあぶり餅屋にはいる。門までまだ10mはあるのにもう姿を見付けて呼び込みをする。なんだか金比羅さんの門前のうどん屋を思い出した。あそこも客呼び合戦が名物であった。広重の宿場風景にある客の呼び込み風景はこんなだったろうと思う。まず真っ先に声をかけてきた「かざりや」へ、続いて「一和」へ。前者が本家らしい。味は同じようで同じではない。昔はこの甘いタレが堪らなかったであろう。
大徳寺に入る。お目当ては利家夫人まつゆかりの芳春院だったが、京都春期非公開文化財特別拝観の看板が出ていて、大徳寺本坊を見せるというので、少々高いと思ったが800円を払ってこちらに入った。学生らしい案内人が要所要所にいて説明をしてくれる。方丈(国宝)に管長以下の名札がかかっている。相撲のようにたくさんのランクがある。常住は意外に少なくて8人ぐらいと言った。上がり口に大きな竈が5基ある。今は年に1度1竈を上人法要の時に焚くだけという。食事の間を通り抜けると庭が目に入る。対面している大広間は4間だったか。内2間が仏間で、その一つが元々は高僧が説法する部屋であったと聞いた。30畳ぐらいだった。それ以外は24畳。一番奥が信者の控え室。襖絵が重文。淡白な墨絵であった。
庭の説明は面白かった。広くはない。砂利に竹箒で流線が描いてある。向かって左の石が滝でその前に埋め込まれた石が滝壺、流水は縁に沿って右端の島にぶっつかる。何か禅宗得意の判じ物である。国宝唐門が正面にある。修復を終えたばかりで色鮮やかだ。高貴なお方や高僧はこの門から入るので、汚れを覆うための砂利が二山置かれている。これが南庭で、東庭は左右の奥行きを2mほど違えて作ってある。南庭から眺めて広々と見えるようにとの工夫だそうだ。北庭に井戸がある。火災の時、開祖だったかの木像の首を投げ込んで守るのだという。火災前提の建造になっているのは流石木造建築の国である。なお木像の安置されている部屋は床が一段と高く作られており、床下に人が立ったまま入れる。その床には簡単な輿が用意されていて、火事になったら像その他重要物資を担いで逃げる工夫だと聞いた。屋根瓦に桃の焼き物が載っている。謂われを聞いたが忘れてしまった。
上がり口に戻り、天井に掛けられた駕篭を見た。高僧を例えば宮中に送るときに使ったのだという。屋根裏の倉庫に上がるための梯子は急だった。つま先が引っ掛からぬように梯子段は足を載せない側を削ってあった。ここから唐門正面に回った。日光東照宮にあるような極彩色の模様が、金色の金具とうまく調和して一つの美しさを作っていた。
大徳寺横の松屋藤兵衛で、予約して置いた松風を買った。美味いが賞味期間が至って短い。だからか、ガンとして支店を出さない。ここだけの味である。みやげにはそのほか千枚漬け、湯葉豆腐、蕗の薹などを買った。伝統の味だけではつまらないので、「月影」という銘の新作のクルミ入り羊羹も買ってみた。京都は個性を失わぬ町である。
京大総合博物館に立ち寄った。文化史系展示と自然史系展示に別れている。文化史系から見学する。1Fの常設部に17世紀初頭の、切支丹禁令が発せられる前までの、京都にあった切支丹の墓石が展示されていた。武蔵はその頃京都奈良あたりを歩いていたのではなかったか。私は九州在住時に隠れ切支丹の証拠をあちこちで見たが、いずれも直接には切支丹を推測できないように表現されていた。禁令以前の墓石は見たことがなかった。それが京都にこんなに数多く残っていたとは驚きであった。真ん中に十字架が彫られ、クリスチャンネームらしい平仮名文字、西暦表示など、それがお寺に残っていたのである。
古いガイドブックをめくっていたら、平成3年3月3日の京都観光一日乗車券が出てきた。大きな紙の切符だった。今回も一日乗車券を利用した。1050円が1200円に値上がりし、定期券と同じ大きさで自動改札が通れるように変更されていた。出町柳で大原までこの券で行けますかと念のために訪ねたら、券の有効範囲外になっているらしく差額を徴収すると云われた。昔はこの券で行ったのであるから、意外だった。地下鉄には東西線が加わり、烏丸線も随分伸びていた。

('03/05/05)