仏陀のいいたかったこと

- お四国さん(四国八十八ヶ所巡礼)は2度やった。難しい願い事もなかったので当たり前の順うち(時計回りのお遍路)であった。いまどき逆うちなど希で、圧倒的に順うちの巡礼が多い。同じ連中と後になり先になり次のお寺(札所)に行く。行く先々では必ず納経所に立ち寄って納経帳(お軸)に札所のサインと宝印をもらう。おいおいスタンプ・ラリーのようになって、信心よりハイキング気分の方が勝ってしまう。でもちょっとは仏の言葉を理解しようと、まずは般若心経の暗記に取りかかった。そもそも納経帳に記帳してもらうには、なんなりお経を上げる(納経)のがしきたりだ。お遍路の団体さんは例外なく、と言ってよいほど、このお経を仏前で称える。勤め先との往復時間を暗記に当てた。なんとか頭に入った頃学校を引退して関東に戻った。
- 般若心経は語呂がよく、凡人が暗唱するのに丁度適当な長さである。でも歳を取ってからの暗記はあまり身に付かない。四国を離れるとすぐ思い出せないようになった。今度はその名もズバリ「般若心経」(金岡秀友校注、講談社学術文庫、'01)を買って理解にかかった。一語一句をおろそかにせず解説してあるが、それがまた無味乾燥(ごめんなさい)難解で半分も進まなかった。大般若経600巻の精髄を、300字に満たないこの経文に要約したというのだから、難しいのが当たり前なのだろう。今までに見た仏の解説書とは差がありすぎた。今回は田上太秀先生の表題の本で、同じ講談社学術文庫の'00年の出版である。
- 私はお経と言えばお釈迦様の説教を記述したものとばかり思っていた。元々経典にはそんな意味がある。だが、般若心経をはじめ日本で人口に膾炙している大乗仏教の経典は全部、後世に創作された偽経なんだそうである。でも有名な「色即是空、空即是色」の空は釈迦の思想に流れる底流だそうで、その限りではホッとしたが、釈尊になかった思想を付け加えたお経もあるのだそうだ。人間に本来性としての仏性があるという大乗仏教の主張は、釈尊の立場とは大いに異なると言う。釈尊は行為論者で、善と悪は行為に依ってあるとしていると書いてある。だが大乗仏教は、世尊の没後6-7世紀を経て、旧派では出家が経典の解釈に没頭する学問僧と化し、俗世間の救済から離れて行く反省として興った革新運動であった。民衆の信仰が高まり僧侶の生活が安定すると、常に芽を出す問題である。日本でも旧仏教界に対する新仏教運動として歴史に再々登場した。
- 空とは実体がないという意味だ。色とは形として知覚されるものだ。ものはそれ自体の固有の実体をもたないと仏教は教える。そこから、ものに心が囚われてはならないという実践倫理を説いたという。釈尊は人間で神ではない。ご自身はお布施料理の中毒で涅槃に去られるのである。呪文、祈祷、お札など誤魔化しで一切効き目はない。不滅の原理なぞあるはずがない。死後存続するものは何もない。霊魂などあるはずがない。釈尊は生きている間に五戒を守り、自分の悩みや苦しみを解決することに専念せよと説く。
- なんだかここまではひどく現代的である。前世の報いなどと云って不幸な我が身を労る話や来世に期待する話を時代小説に見ることがあるが、釈尊は霊魂の輪廻など云ったことがないという。在俗信者には布施と戒を守ることを正しく行ったならば、死後、天に生まれるとよく説法したと云うが、それは方便で云ったまでのことと説明されている。輪廻とは古代インド人の思想であって、釈迦は在家信者に対する説法にこのように便宜的に利用したが、出家には説いていないと云う。ものの生起はすべて因縁によると言う意味で輪廻なんだそうだ。ここら辺はなんだかよく意味が分からない。
- お釈迦様は快楽をむさぼるような生活姿勢は勿論禁止した。だが極端な苦行も肯定しなかった。出家は酒を飲んではならないが、お布施の魚や肉の料理は食べてもいいとした。健全なる肉体に健全なる精神が宿るのである。永平寺の修行状況をNHK TVで見たことがある。雲水は生きるために必要な最低限のカロリーしか取っていなかった。そのときは座禅へ雑念を持ち込まないために最良の方策と思ったが、お釈迦が見たらさてどう思うだろう。出家は托鉢の際に金銭を受け取る行為や蓄財することを一切禁止されていた。一方で在家には財の蓄積を奨め、営利活動を行い利子を取ることも承認している。出家は農耕のような生産活動も禁止されていた。生活を全てお布施に頼った。出家から見れば、お布施を集める乞食(こつじき)行が在家との接点になり、現世に足を置いた隠遁者でない教化活動の原点になる。精神活動と実生活を出家と在家でお布施を通じて分担しあうような宗教教団であったらしい。
- 我々が目にする仏典はサンスクリット語から漢訳されたものである。固有名詞は音訳だから双方を比較すると仏教が伝来した頃の唐での発音が分かる。デーバダッタを提婆達多(だいばだった)と訳してある。よく分かる例である。日本では伝わった当時の発音がよく保存されている。音節文字「いろは」があるからだろう。表意文字だけの中国では過去の発音は保存できないだろう。今ではかなり違った音で読まれるのではないか。世界大百科事典によると、サンスクリット語はお釈迦様が生きていらっしゃる頃に文法が成立し、インドでは以後ヨーロッパでのラテン語のように文語として使用されたという。田上先生は、お釈迦様が民衆語で話したのに、この貴族語で仏典が残った理由を説明なさっている。インドには主要な言語だけでも今12あるという。表音文字だけのインドでは、もしも民衆語だけの伝道だったら、興亡流転の激しい中、原典が理解できる形で今日まで伝わったかどうか。
- 古代インドは、バラモン教司祭者を頂点とするカースト制という厳しい階級社会制を布いていた。カースト制最下層の賤民とは奴隷身分にされた先住民であった。インダス文明の末裔であろう。インド・アーリア人に討ち滅ぼされた民族で、色黒の鼻が低い人たちだという。今デカン半島に住む非アーリア系人種はその流れなのであろう。お釈迦様は教団の内では出身による差別を禁じた。革命的な教えである。ただ俗世界の身分制廃絶運動にまでは進められなかった。お釈迦様が目指す平等は心の中に巣食うカーストという観念の根絶であり、制度上の差別の撤廃ではなかった。教団の立場と、色即是空の哲学がそうさせたのだと理解する。そのほか、四囲をバラモン教に取り囲まれた環境にあって釈迦がいかに革命的であったかを「過去の因習を超える」の第3章で取り上げている。今は葬式仏教などと陰口をたたかれているが、釈迦は葬儀を含めた一切の通過儀礼を排除したという。
('03/04/06)