山椒大夫・高瀬舟他四篇

森鴎外の名作である。岩波文庫に再版されたので買ってみた。手に取るのは半世紀ぶりか。私の年代なら、そして多分どの年代でも、「山椒大夫」と「高瀬舟」は一度は読んだ小説だ。他四篇は「魚玄機」「じいさんばあさん」「最後の一句」「寒山拾得」である。

「山椒大夫」を旅してみる。昔読んだといっても、頭に入っているのはもう大筋だけだから、色々新鮮である。時代は平安中期11世紀後半。道長の孫・師実が関白の頃だから、武士の台頭が無視できなくなり、貴族の力は全盛期ほどでは無くなりつつあったが、まだ十分に強大で、上古からの政治司法制度は機能していた。安寿・厨子王の父は陸奥掾として現地に赴任していたが、罪を得て筑紫に左遷された。12年後岩代の信夫郡(福島市)から、父を訪ねて家族らの悲劇の旅立ちが始まる。陸奥といえばすぐ青森を思い浮かべるが、その地はまだ蝦夷の国で、俘囚と夷俘が混じり住んでいた。東北の北では前九年の役、後三年の役、隣の関東では平忠常の乱と物騒だった。その頃の陸奥は今の福島県以北を指し、国府は多賀城だった。一家が信夫郡にいたのは、国衙の役人が直接郡を治める傾向が強くなった時代だから、郡長官の立場で派遣されていたのであろう。掾は守、介の次の官位である。だから一家は下級貴族だ。旅中に母が袿(うちぎ)を着けている理由である。
母、安寿、厨子王と女中の4人は東山道から猪苗代湖北辺を越後に行く道にそれて歩いたのであろう、今の直江津に至る。なぜ裏街道を選んだのか、書いてない。表の東山道から東海道を経る道順の方がまだ安全だろうに。白河の関はまだあっただろうから、それに遠慮があったのだろうか。女子供だけの旅というのに解せない。人口密度は今の拾何分の一で、司法の眼があるのは集落止まり。旅人を狙う狼はやりほうだい。その一つ、拐かし、人さらいは太古からの商売で、律令制に既に強盗並みの罰則規定が見られるという。横行していた証拠である。もっと解らないのは越後の国守の高札である。「人買が跋扈しているから宿を貸すな。貸すとあたり七軒を巻添とする。」とある。旅人は通り過ぎる、人買は付きまとえないという論法らしい。おかげで野宿することとなった4人に災難が持ち上がる。人買が親切ごかしの甘言からだんだんと本性を現して、4人を金縛りにして行く過程がよく書けている。
船路を母子に勧める理由に、陸路の親不知子不知の難所を説き聞かせる。芭蕉も「奥の細道」の旅で通った。「一家に遊女も寝たり萩と月」と詠んだ市振宿はその西である。もう10何年も昔にNHKドラマ「冬の桃」の劇中劇で宿風景を見せた。遊女を三田佳子、芭蕉を小林桂樹が演じた。女旅の心細さに同宿の遊女二人が芭蕉、曽根に同行を頼むが、芭蕉は僧形の身だからと云って断るのである。芭蕉は元禄文化が花開く江戸時代の安定期に生きた人である。だが、そんな頃でも女だけの旅は危なかったのであろう。親不知は江戸時代でも、波の合間を計りつつ断崖が迫る海岸を小走りに通り抜けねばならぬ場所であったらしい。そんな話がドラマに挿まれていたようにおもう。
安寿と厨子王は山椒大夫に奴婢として7貫文(1人あたり?)で売られた。皇朝十二銭最後の発行からもう1世紀は経ているが、まだ貨幣経済であったのか。7貫文を現代価値に直すのは至難の業である。皇朝十二銭はあとの発行になるほど小さくかつ質が悪くなった。始めは中国銭を基準にしたはずである。江戸時代には金1両=永楽銭(明銭)1貫文=鐚(びた)銭(寛永通宝など)4貫文であった。だから江戸時代の金1両=11世紀後半の2貫文とし、1両=4-20万円とすれば7貫文は14-70万円である。江戸時代の女郎が30-50両で売り買いされたそうだから、小説が正しければ「山椒大夫」時代は江戸時代の1/10ぐらいの生活水準であったのだろう。
江戸時代の生活が3両・人/年だったとしたら1-5万円/人・月で現代の中国並みだ。その1/10は今の世界の何処あたりに相当するのだろう。拉致(人買)を国ぐるみでやった某隣国には統計がないが、多分人民の平均収入はその程度であろう。ちなみに某隣国のGDPは近刊の重村智計:「北朝鮮データブック」、講談社現代新書、'02によると1.9兆円と見積もられる。1人頭にすると日本の1/50以下である。私の平安中期に対する推測は当たらずとも遠からずと思う。
山椒大夫の里は丹後の由良であった。京都府の中央の京大演習林のあるあたりから延々と流れ下ってくる由良川の西河口である。丹後は考古学時代から一つの文化中心地であったと聞いたことがある。丹後半島の本庄浜に浦島太郎伝説を伝える宇良神社がある。延喜式に既に載っている。そこの祭礼絵巻(模写)が国立歴史民俗博物館に展示されている。室町時代に画かれたという。相撲、流鏑馬、貴婦人、大道遊芸数々となかなかの大祭であったようだ。今は宮司もいない小さな社であるが、当時はもっと大きかったのであろう。直江津から小舟に乗せられて安寿、厨子王は津々浦々で売りに出されたが、買い手が付かなかった。だが、由良では一声でけりが付いた。以前も売れ残りの始末はここでやったと書いてある。平安中期でも繁栄していた土地柄であったのだろう。
厨子王は京に出てから仏の加護で運が開ける。預かった安寿の守本尊のお地蔵ざまが幸運の鍵になるお話は、仏教に深く帰依して御仏の奇跡を疑わなかった貴族の姿をよく伝えていると思う。その一方で厨子王に差し向けられた追手・山椒大夫の三男・三郎の一隊が、かくまった中山の国分寺和尚と境内探索に関して行う問答では、来世よりも現世の利益に執着する地下人頭目階級の仏を恐れぬ理屈と、国家と総本山東大寺の権威を背景にはね返す和尚の論理が、それぞれの依って立つ土台をあからさまにして興味深い。さらに下層になる人買は高僧の言葉を、拐かしと知った母子に浴びせる嘲笑に使う。もう仏法が日本に伝わってから4-5世紀になりかかっていたが、民衆には伝法なお呪いぐらいであったのかも知れない。
「魚玄機」では作者森鴎外は端倪すべからざる漢学漢籍の素養を披瀝する。趙痩、楊肥、狭邪、措大、揺金樹、旗亭、干思肝目、奔?、良驥など今の日本では死語と思えるような(発表当時でもかなりの教養人でなければ知らなかったのではないか)むずかしい漢語が次々に出てくる。唐の都・長安を舞台にしているから、その雰囲気を伝えたくて、あえて言葉を古代中国風に選んだのかも知れない。さらに漢詩が何首も並ぶから異国情緒豊かである。流石に漢詩には読み下し文がつけてある。最後に参照文献にいくつもの漢籍が並んでいる。小説の土台となる史実があったらしい。
「じいさんばあさん」は江戸中期を下った頃に大番組の旗本に起こった事件を扱う。現代人には縁者の面倒見や人間関係がなかなか理解しにくい。じいさんは伊織、ばあさんはるん。まず伊織と弟の姓が違う。仕える大名も違う。だが、ともに大番頭であるから二人とも譜代大名である。多分弟が養子に出たからであろう。弟が病に罹り、伊織が代人差出で弟の主人に従って京都警護に向かう。「鬼平」では火付改盗賊方のお頭が堀帯刀から長谷川平蔵に替わったとき、堀組の与力佐嶋忠介が請われて残留したとある。旗本同士に人の融通があったことは知っていたが、大名同士でもやっていたとは知らなかった。
伊織が京で罪を得て永のお預けとなった預かり先の有馬氏は外様である。伊織が配所から恩赦で戻ったとき、弟の主人の屋敷内に隠居所を建ててもらう。代人のときの罪人だから代人時代の主人が最後まで面倒を見るのだろうか。るんはここで弟の殿様から将軍よりの貞節への褒美・銀10枚を伝授されている。るんの生家は安房の郷士らしい。妹の嫁ぎ先の姓を冒して伊織に嫁行ったと書かれてある。「冒す」とは「名乗る」と云うことで今は死語だろう。家の格が違うときによく取られた手段らしい。伊織が罪を得たとき、るんは妹の嫁ぎ先の分家にひとまず往っている。これも何故だかよく分からぬ。「冒した」以上は名を貸した家が面倒を見るのが当然であったのか。森鴎外は津和野藩典医の家に生まれた。武士社会には詳しかっただろう。
「最後の一句」は江戸中期から下期に入る頃の大坂で起こった事件で、父親減刑嘆願書始末記である。父親は海難事故にかかわる横領の罪で、三ヶ日木津川口に晒され明日は斬罪になる。子供5人はおのれらの命と引き替えに父を助けよと嘆願する。画策したのは16歳の長女である。お白州での尋問で、6歳の末っ子は「死ぬか」と問われて活発に首を横に振る。つまり長女のリーダーシップに弟妹が繋がってきたような事情である。最後の答弁で長女は「お上の事には間違いはございますまいから」と云い足す。それが取り調べ側の胸を刺して、父親は大阪御構いの上追放に減刑される。あの時代に真っ正面から「」内の言葉を吐くのはどんなに重大か、今の若い人は頭で解っても感覚では、それこそイラクか北朝鮮にでも留学して暮らさないと解らないだろう。

「高瀬舟」は自殺幇助罪で遠島になる男の告白物語である。頃は江戸下期、場所は京都。TVドラマか何かで遠山の金さんが桜吹雪の片肌脱いで「遠島申し付ける」と云えば、八丈島送りと相場が決まっている。だが、これは小伝馬町牢屋の罪人が流罪を受ける場合である。大百科事典には、近江以西の罪人は大坂の牢屋に集められたのち、薩摩、五島の島々、壱岐、隠岐、天草島のいずれかへ送られたとあった。小説の男は今風に云えばフリーターである。居場所を見付けるのにさんざん苦労をしてきた。「わたしはこれまで、どこといって自分のいて好い所というものがございませんでした。こん度お上で島にいろと仰って下さいます。そのいろと仰る所に、落ち着いていることが出来ますのが、まず何よりも有り難い事でございます。」という。現代の、親というシェルターの中で、ぬくぬくと好き嫌いを云っているフリーターには是非読んで貰いたいものである。彼は「牢屋は有り難いもので、仕事をしないのにタダで飯を食わせてくれる。おまけに島送りになるときは200文も持たせて呉れる。」と感謝する。今まで懐にあったためしのない大金だという。警護役人は「欲望」について、目から鱗が落ちる思いをする。「翁草」が種本だと、あとの「附高瀬舟縁起」に書いている。
「寒山拾得」は三人の下っ端僧が実は悟りの境地に入っているという話である。時代は7世紀初め、唐の話である。この小説では宗教心に関して人が三手に分類されている。だが、道とか宗教に全く無頓着というのではないが、進んで道を求めるのでもない、中途半途に眺めているだけという現代人に多い部類はどこにも入ってこない。寒山拾得を訪ねる主人公は中途半途だが、眺めるだけにせず、別に道に親密な人がいると思い、それを尊敬する人である。それが何にもならぬ事だと小説が教える。あとがきに「附寒山拾得縁起」があって、鴎外が我が子に無邪気に寒山とか拾得とか文殊とか普賢とかを質問されて弱った話が書いてある。碩学が不意に根本に関する質問をされた時のあわてぶりを想像して可笑しかった。専門家相手の講演より一般聴衆相手の講演の方が怖い「あれ」だ。

('02/12/12)