英国ロマン主義絵画展と千葉県写真展


英国近代画家にターナーという人がいたことぐらいは私でも知っている。風景画家だが、歴史画「雪の嵐:アルプスを越えるハンニバルとその軍隊」で知った。吹雪のアルプスを越えようとする、英雄ハンニバル率いるカルタゴ軍の雄途に熱く感動したものである。勇戦虚しく、カルタゴはローマに屈服し、ハンニバルはローマの刺客に追われてスペインの片田舎で毒をあおって死んだ。ハンニバルの伝記を読んだのは敗戦後間もない頃で、わが国とカルタゴが重ね合わさっていた。ターナーの歴史画はもっと後になってから図版で見たのだが、歴史に引きずられて名を記憶したのであろう。図書館でターナーの画集にこの絵をもう一度見た。ハンニバルは、中央遙か遠くに、戦象に乗り行軍している姿で描かれていた。
県立美術館で開かれている掲題の絵画展は、英国の国立美術館であるヴィクトリア&アルバート美術館のコレクションによる展示である。ターナーの作品も来ている。残念ながら歴史画はなく、いずれも風景画であった。油彩は大作がいい。「イースト・カウズ城:停泊地へ向かうレガッタ」は、もやに霞む中世のお城を背景に、大勢がボートで河口を目指している情景である。着飾ったご婦人方が乗っている。岸辺には大勢の見物人がいる。レガッタと題に入れているのは、競争しているように見えるからだろう。私は風景画であっても人物が程良く描き込まれている絵が好きである。その人物が表情仕草で問いかけているような構図が特に好きだ。自然だけで、人間も動物も排除された絵がよく風景画で出てくるが、あれは興を催さない。
同じ第1室ではド・ラウザーバーグの「ライン川の滝、シャッフハウゼン」とモーランドの「海辺−網を引く漁師たち」がよかった。シャッフハウゼンはライン川の源・ボーデン湖から下ったスイス側の国境の地である。落差は大きくないが大河である、滔々と水が流れ落ちている。川を挟んで3軒の家が見える。その1つは塔で昔は見張り砦のようなものであったのかも知れない。その前は港で、川船が1艘人を乗せて漕ぎ出した。あと1艘が川に下ろされようとしている。モーランドの絵は筋骨逞しい3-4人の男が網を引く力強い姿で描かれていた。
第3室にレドグレイブの「ガラスの靴を履こうとするシンデレラ」、「花冠を編むオフィーリア」があった。後者はハムレットのオフィーリアなのだろう、悲恋に狂い始めた頃のオフィーリアと思ってみるとよく描けているように思う。戯曲では彼女は小川で水死するのだから、水に入る直前を描いているのだろう。前者は物語の登場人物との対比が明らかで、そう言う意味では面白いのだが、受ける印象は三文役者の舞台である。人物の表情に工夫があっていいし、動きが感じられる描きようもあったのではないか。
小品に水彩の風景画が多かった。小品ではかえって水彩が向いているのかも知れない。宗教画は苦手中の苦手で殆どを素通りした。日が没することを知らない大英帝国時代であるから、異国情緒豊かな外国風景、遺跡など私には物珍しい絵がたくさんあった。芸術鑑賞なんてしかつめらしい気分から離れて、遠い昔、遠い場所を想像するのもいいものだ。ロバーツの「ダーロ川沿いの古い建物、グラナダ」に目を見張る。ほう、こんな建物もあるんだと。グラナダはスペイン南部にある。海賊の横行に手を焼いた土地柄だそうだ。そう思って思い返すとあの建物は、侵略に対する防備を計算に入れて建てられていたのかも知れない。
この絵画展の向かいで開かれていた千葉県写真展を帰りに覗いた。格段に進歩した写真技術を駆使した数々の作品を見ると、素人のお遊びならともかく、玄人の間では、もう単なる風景画などは成り立たぬのではないかとさえ思えてくる。写真は基本的には「真(まこと)」を「写」している。しかしシャッターチャンスに今の写真技術を自在に活用すれば、絵画に迫るあるいはそれ以上の、思想表現が可能である。写真と「名」画をたまたま比較できたのは望外の幸運であった。

('02/10/02)