かもめのジョナサン


これも「Yonda? 新潮文庫の100冊」の1冊である。初出が'74年ともう30年近い昔になるのに、本の題名だけは忘れずにいた。だから当時は随分と騒がれた小説であったに違いない。リチャード・バック作、五木寛之訳、ラッセル・マンソン写真と表紙に印刷されている。気付かずに題名だけで買ったのだが、なるほど、かもめの写真が小さな冊子の割にはぎょうさん入っている。五木寛之は小説家と思っていたが、翻訳も手がけるのだ。これもちょっとした驚きだった。
なんだか訳の分からない小説である。登場するのはかもめばかりである。太古の昔から伝えられた掟にがっちり縛られたかもめ社会に、ジョナサンという風変わりなかもめがいる。彼は飛行術の改良改善に余念がない。彼は他より少しでも早く、少しでも高く飛びたい。また少しでも急角度に旋回し、逆にぴたっと静止状態を保ちたい。だがそんな向上心は長老の忌避に触れる邪悪な掟破りである。彼は追放されるが、それでも決心を曲げずに努力を続け、ついに440km/hと云う最高速度を出す。どこからこんな数字を出したのか知らないが、零戦前の日本軍戦闘機の速度だ。多分現実の鳥類の最高速度は100km/hのオーダーだろう。これがかもめ仙界の入口であった。
ジョナサンは、すでに仙界にたどり着いていた何羽かの仲間とともに、仙かもめ(人で云う仙人)の教導の下で訓練に明け暮れる。かいあって飛行術に肉体からの自由を得たジョナサンは追放された故郷を目指す決心をする。同じ思いで苦しんでいる仲間がいるのではないか、他人を愛せよである。先ず、はぐれかもめの1羽フレッチャーを見つける。3ヶ月経ったら生徒は7羽になった。全員追放かもめである。だが、優れた彼らは、次第に、長老の制止にも関わらず、群の注目を浴びるようになる。群が、正しい掟とは自由へ導いてくれるものだけだと知ったとき、フレッチャーが岸壁に衝突し、その瞬間に死からの自由を獲得してみせる。ジョナサンはフレッチャーに後事を託して天を目指す。
なかなか見事な訳である。五木寛之の解説には翻訳ではなく創訳だという。創作翻訳で自在に伸ばしたり省略したりしてあるのだという。私は仙界とか仙かもめという言葉を使ったが、そんな言葉がこの文庫本の中に見付かるわけではない。何しろ奇想天外な大人のお伽噺だ。私の持っている文化の中で何に例えたら、短文の紹介が出来るかと思ったときに、たまたま仙人の話が頭をかすめたので、こんな言葉を導入したまでである。東洋の仙人話と違うのは、常に群とか衆を意識しているところだろう。人類が初めて音速を超えたときの物語は映画にもなった。操縦桿が逆方向に働くとかの異常体験だったようだ。そんな「超える」経験を背景に考えると、意味不詳の抽象語も何となく理解できる。作者は飛行家だそうだ。ついでに21世紀研究会:「人名の世界地図」、文春新書、'01によると、ジョナサンJonathanは旧約聖書のヨナタン、「神は与えたもう」という意味だそうだ。内容ともピッタリの名前である。

('02/09/29)