平塚の七夕

- 西日本の、少なくとも私が住んだあたりでは、七夕祭りは家ごとの行事で、町を挙げてのお祭りではなかった。関東に居を移し、仙台や茂原の七夕の、大がかりで華やかなお祭りぶりに驚いたのは10数年昔のことである。日本三大七夕と言えば、仙台、平塚とあと一つを云うそうで、あと一つには南から北まで随分と候補があるらしい。平塚の七夕は新暦の7月7日が中心である。仙台その他は殆どが旧暦に基づいていて、新暦の8月上旬になっている。ただ茂原だけは新暦の7月下旬になっていて、そのいわれには興味をそそられる。旧暦は太陰太陽暦で、2-3年に一度閏月が入る。新暦とは毎年少しづつずれて行くから、7月下旬でもおかしくはない。恐らく始まった年の旧暦7月7日対応の新暦日に固定したのであろう。
- 利家とまつ、信長、秀吉、家康などの歴史に取題した七夕飾りが多かったが、サッカーの中田(英)選手、漫画やアニメの主人公なのだろう、よく分からぬ戯画などもあった。中心の通りでは創作に工夫を凝らしている。竹に飾りを釣り下げて両側から綱で補強している。風が吹くと幅広のポリマー・フィルムのテープがしゃらしゃらと擦れ合う音を出す。きらきらと輝くテープはアルミのラミネートがしてあるのだろう。中心からは外れた裏通りでは、おざなりの何処も同じ飾りを電柱にくくりつけていた。
- その日は30度を超した夏日であったそうな。少女の浴衣姿が目立った。平塚の町中には、いたるところで冷たい飲み物が売られていた。露店が多かった。駅前の一角、昔の平塚新宿が繁華街であるが、その全域を歩行者天国とし、道幅に応じて1列ないし2列に露店が並ぶ。交差点に特設会場を造り、その時は花巻市の郷土芸能を演じていた。「お化け屋敷」の興業が見物客を呼び込んでいた。ここ何十年も見なかった風景で、懐かしかった。呼び込みは馴れた口上の老人であった。
- 平塚八幡宮にお参りし、その社叢を散歩した。今は公園になっている。シナノキの大木があった。東北ではよく見かけるが、関東ではあまり見ない木である。昔はもっと立派な森が八幡さまを取り巻いていたのだろうが、この程度でも都心のやせ細った寺社に比べれば良く残った方だとも思う。市立博物館で、平塚の歴史を勉強する。平塚宿の模型がある。福島の大内宿とよく似た姿だ。あるいはそれを参考に造った模型かも知れない。大内宿を訪れたのは10数年前であった。当時はまだ大型の茅葺きの家が何軒も、平塚宿の模型そっくりに、残っていた。本陣の絵図面が残っている。8畳敷きに換算して20部屋ほどもある大きな本陣だ。建物は大別3ブロックからなり、一番奥がどうもお大名の宿泊所らしく、入口の門構えが立派である。TVドラマの鬼平に出てくる宿場、例えば「血頭の丹兵衛」に出た島田宿は、板または瓦葺きの屋根であったように思う。「血頭の丹兵衛」を覚えているのは、盗人の掟を守る老いた大盗賊・簑火の親分の役を、島田正吾が段違いの名演技で見せたからである。江戸時代の街道絵巻などの記憶からは、多分茅葺きの方が正しいのだろうと思う。
- 世界大百科事典によると、江戸下期の平塚宿は元からの本宿に新宿が加わり、400軒を越す家屋と2千人以上の人口を持つ宿場であった。ちなみに現在('95)の人口は25万を越している。今は平塚市に編入されている馬入集落は、相模川の川越人足が集まる渡し場部落であった。二次大戦の頃の地図は、この地が軍事産業都市であったことを示す。第一、第二の海軍火薬廠、海軍技術研究所、他に海軍の航空機関系の工廠があったようだ。八幡さまのお山には高射砲陣地があったようだ。おかげで大空襲に会い、完璧に焼け野原にされた。博物館は空襲の記録にかなりのスペースを割いている。
- 旧軍関係の広大な敷地は、戦後のこの町の都市計画に好都合であったようだ。公共建造物や公園は、ここに立地しているものが多いようである。あとで町中を散策して、現在の国道1号4車線道路は新設で、旧東海道は駅前の2車線道路であることを知った。その旧道がどうも繁華街の中心道路であるらしい。町中が碁盤の目のようになっているのは、東海道が昔から真っ直ぐに走り、それに合わせた都市計画が、自然発生的に行われたせいであろう。そう言うのも文化遺産の一つであろう。
- 市立美術館の常設展を見た。入口すぐの椿貞雄の菊子座像が目に留まる。もう80年も昔に描かれた。冬なのであろう着膨れた童女が、やや横向きに、遊び道具を肩に掛けて座っている。光が顔に当たっている。純和風の人物画なのに、レンブラントを思い起こさせる光の使い方である。菊子座像と同じ並びの数点は同時代の有名画家の作品であった。なかなか見応えがあった。でもそのあとに展示されている作品群は、どう見ても力量に欠ける。どのような方針で蒐集をやっているのだろうか。建物は平成4年の建造だという。随分立派な建物である。エントランス脇にレストランが敷設されていて、池を見ながら飲み食いできるようになっている。
- 午後からは町中は身動きできぬほどの雑踏になった。合計4時間あまりを見物に費やした。私の家から丁度100kmほどの位置で、日帰りの小さな旅にもってこいの場所であった。
('02/07/09)