鎌倉−紫陽花と精進料理−


Wサッカーの決勝トーナメントで日本がトルコに惨敗した。雨中戦であった。翌日、雨は上がった。体力を使う雨中戦は小柄な日本選手にとって不利だったはずだ。お天気が逆だったらよかった。気晴らしに家内と鎌倉に出掛けた。お目当てはアジサイと精進料理である。
北鎌倉駅で降りて、県道21号線(横浜−鎌倉)に沿って歩く。鉢の木新館に立ち寄り予約を入れる。もう一軒の精進料理の店・門前には昔立ち寄ったことがあるので、今回は始めから鉢の木に決めていた。明月院に行くつもりが建長寺門前に来てしまった。線路を越したらすぐ右に折れなければならなかった。引き返して明月院の方向に歩く。土日でもないのにたいそうな人出だった。大体が青アジサイに統一されていて、今が盛りの庭は美しかった。本堂奥のハナショウブの庭は6/16(日)に閉じたという。チラと窓越しに望めたが、狭いがいい庭のようだった。本堂前、枯山水庭園脇の板塀の中に、沙羅双樹(ナツツバキ)の花を見た。ヤブツバキほどの照葉ではなく、白い花は割と小振りであった。明月院のパンフレットには、春夏秋冬の花を付ける樹木の案内が入れてある。
引き返して約束の11:30に鉢の木新館に入る。2Fへ案内される。目的の精進料理を注文したら、それは隣の鉢の木北鎌倉店ですという。仕方がないので隣で予約をやり直す。12:30という。半時間あまり余裕が出来たので、円覚寺の拝観に向かった。仏殿の柱はコンクリート造りなので、パンフを見ると昭和39年再建と書いてあった。関東大震災で崩壊したのだという。居士林だったか、薬師観音を祀った小さな建物に弓が沢山立てかけられている。横を見ると弓道場になっており、丁度練習が終わったところであった。選仏場は確か座禅道場になっていた。国宝・舎利殿は門越しに眺め、やはり国宝の洪鐘は少し小高いのと時間が迫ったので立ち寄らなかった。方丈と勅使門の間の木立に、ビャクシン(柏槇)の立て札が付いたヒノキ科と思える喬木が立っていた。戻ってから調べたら、私の植物図鑑にはビャクシン属はあるがビャクシンという木はなかった。
鉢の木北鎌倉店の2Fに上がる。週日だというのに大変な混雑である。畳の大部屋にゆったりと食卓が配置されている。床の間に一番近い窓際に案内された。ベストの位置である。周囲は全員が女性客である。老年中年若年とバランス良く来ている。インターネットの広告どおり、「あじさいの精進会席」があったのでそれにする。私の精進料理との付き合いはもう半世紀近くになる。大学の研究室全員で、宇治黄檗山万福寺の普茶料理を味わったのが始まりであった。味わいに行くと云うより、植物性の肉モドキ料理を驚きに行くと云った姿勢であった。この時以降はお目にかかれないが、形まで魚らしくしてあった一品があったように記憶する(ウソ? 落語「長屋の花見」と混線しているかも)。昔の先生方は本当に学生の面倒見がよかった。
着物の仲居が膳を運んでくる。膳に梅酒、汁煮物、酢の物そのほか色々のっている。湯葉を広げて油で揚げ、アジサイに見立てたという大皿が呼び物らしい。続ける前にビールを1本注文。続けてワイン染めの寒天でアジサイの感じを出した丸形豆腐、次いで、なすの油揚げが出た。なすはへたの部分にだけ衣が付けてあるのに感心する。あとは飯に味噌汁と香の物ぐらいであったか。憶えのないものも入れたらさて何種類が出たろうか。器だけで10数種類を数えたと思う。陶器以外は全部朱の漆器であった。一口程度の小料理が、だいたい味の濃い順に運ばれてくる。せめて何年かに一度は来て、味を忘れないようにせねば、と仲居に云ったら相手はにこやかに笑った。
浄智寺にはいる。一度は拝観に入った憶えがある。大した遺構もないが鎌倉五山に入るそうだ。花の木が色々あるようだ。ロウバイと教えられた木がある。今は葉だけだから見過ごすところだった。ナツツバキ、アジサイは勿論ある。円覚寺と同じくビャクシンがあった。洞門を経て石の布袋さんを見、通りへ出た。再び21号線を通り、自動車通行禁止になっている亀ヶ谷坂より寿福寺に出る。門越しに仏殿を見、脇の実朝政子の墓に通じる小道を登った。しかし少し道が雨で緩くなっているで、墓までは行かずに引き返し、看板で見つけた鏑木清方記念美術館に向かった。

('02/06/21)