料理のコツを科学する


もう棺桶が近い歳になったのに、今まで一度も、まともに料理の本を広げたことはなかった。本屋でひょっこり目に付いた、杉田浩一:「料理のコツを科学する−おいしさの謎解き−」、青春出版社、'02を一読した。面白い。未だに料理など自分でやる気は更々ない男が、専属の包丁人−家内の事−に、あれこれ一端の理屈をこねるには、全く適当な教材なのである。新書版なのに、索引が付いている良心的著作である。
総じて簡単な料理ほど科学的説明も明解である。最も単純なのが食材を生のまま食う料理。細切りのキャベツはトンカツの添え物として不動の地位を占めているが、あれは細かく平行に切っただけの食い物だ。ところが、そこのトンカツ屋のトンカツが美味かったからといって、お持ち帰り品に同じ歯触りをプラスチック・フィルムあるいは容器の細切りキャベツに期待してはいけない。トンカツ屋では寸前まで氷水につけておき、いきいきとした状態のままキャベツを切る。持ち帰り品はわが家に運び食卓に並ぶまでの時間に萎びてしまう。浸透圧の関係で、水中の植物細胞は水を吸ってパンパンになる。これが歯触りに好感触を与える。プラスチックが防湿性のいい多層フィルムになっていても、袋あるいは容器内部での蒸発は避けられない。以上は、我が身の失敗を、この本の「科学」で解釈した話である。
サラダになると、弁当屋とレストランの違いがもっとはっきりする。ドレッシングとか香辛料は、食事の直前に配合するのがコツだ。でないとやはり浸透圧の関係で、これらが野菜の水分を吸い出してしまう。つまりサラダは、微妙な経時変化の中の、ある時期でしか味わえぬ味に依存しているのである。たかが野菜と思ってしくじった、私の第2の例である。料亭とスーパーでえらく味が違う動物性の食物は、魚の刺身である。包丁さばきには差がない。だが、料亭では生け簀から頃を計って引き揚げた魚を料理するのに対し、スーパーは食べ頃に合わす手段は限られている。魚肉にも死後の硬直期を経てだんだん柔らかくなる経時変化があって、それぞれの食べ頃がある。生食ほどこの経時変化が激しいことに、弁当屋、デパ地下、スーパーにコンビニ愛好者は注意して、せめて2回に一度は、最低、ファースト・フード店にすべきである。
寅さんは芋の煮ころがしが好物である。「男はつらいよ」をあれだけ数多く見ると、主人公の好みまで覚えてしまう。だが、ついにその作り方は画面に出てこなかった。「鬼平犯科帳」には、食通であった作家・池波正太郎の蘊蓄がところどころで顔を出す。里芋の煮ころがしについては、TVドラマ化された「あきれた奴」の中で、盗賊改め贔屓の料理屋・五鉄の主人の言葉として出てくる。「ぬめりをとる人がいるが、それは間違いでね、里芋の皮をむいたら、乾いた布巾で軽く拭うのがコツです。」と言う。だがこの本では、里芋のぬめりをとるのが美味しく仕上げるコツだと書いている。塩でもみ、ゆでてぬめりをとった下処理後の里芋を料理に使うとある。美味しければどちらでもいい。一度比較したいものだ。うちの庖丁人ははたして「鬼平」党か、「科学」党か。
ジャガイモはゆでる前に水にさらす。その心は、細胞膜のペクチンが水中の無機質と反応し、水を通しにくくするためとある。「化学辞典」、東京同人、'94にはペクチンのカルボン酸残基がカルシウム・イオンとアルカリ塩を作り硬いゲルになるとある。イオン架橋して三次元構造を作るのである。こうするとゆでイモは崩れにくくなる。サラダにも粉吹きイモにもポテトチップにも共通のコツだそうだ。
人間が感じる味とは非常に複雑なものである。舌に甘味、塩味、酸味、苦味の4つのセンサーが備わっていることは、誰にでも直感的に分かる。辛味や渋味は複合的感覚で基本的感覚ではないとされる。旨味を発見したのが日本人研究者で、東京の先生だったが、関西伝統のだしのもと、昆布、からグルタミン酸ソーダを抽出し、味の素という世界的商品に育て上げた。ここら辺までは、心理学の本にまで出ている、良く知れ渡った事実である。だが味に影響する因子はもっと多い。まず歯ごたえとか歯触りとか、歯の神経に対する刺激から来る感触がある。虫歯で神経を抜かれると、以前と違って何か頼りないと感じるという話を聞くが、その証拠である。唇、舌、口腔内壁などの触覚温覚もある。一部は、辛味や渋味の構成要素として、直接的に味に関与していることが明らかになっている。舌と同じ化学センサーとしての嗅覚もある。日本料理では、特に、目で見た美しさがものを云う。
パリパリ、サクサク、カリカリ、べとつき、弾力、とろみ、どろり、ゼリー状などは料理の粘弾性的性質の調理師的表現である。この冊子が「科学する」という表題を付ける以上は、物理的刺激の科学的記述には、レオロジー学を取り入れてほしかった。「パリパリ」では、日本の調理師仲間のイントラナショナルな話に終わってしまう。高分子屋としてちょっと疑問に思ったのは、ビールの泡に対する記述であった。炭酸ガスを表面張力の強いビールのたんぱく質が包み込んで泡になると書いてある。私は実験したことはないので確かではないが、表面張力は弱くなるのではなかろうか。石鹸などの界面活性剤は水の表面張力を弱める。泡立ち易さと表面張力は負の関係にある。それから、表面に集まったたんぱく質はお隣どうしと絡み合わない。これは理論的にも実験的にも証明されている。すると水の水素結合による表面張力よりかなり低いはずである。内部でも絡み合うには、臨界濃度以上でなければならぬが、はたしてビールの中の高分子の濃度は、これを超えているのだろうか。
わが家はかっては大家族であった。母は一升釜で水加減をするとき、平らな米の面に掌を漬け、手首まで水が来たらよいと教えた。薪の火加減は、もちろん「始めチョロチョロ、中パッパ・・」である。しかし今は目盛りの付いた自動炊飯器をセットすればいいだけで、おまけに無洗米なんていう不精者にもってこいの米もある。嫁泣かせの家の秘伝などなくていい。それどころか、次々に家電メーカーが新兵器を台所に送り込み、嫁の独立におおいに貢献した。この本は新兵器が行き渡っているという前提で書かれている。いいことだ。最後にあるIH調理器とは日本の大発明だとある。私らの世代は生活の改革に馴れているから、母の世代とは違ってかっちり我が子の世代、孫の世代に後れをとらずについて行くだろう。だが、料理のレパートリーは日本料理、西洋料理、中華料理までである。味覚はもう新たな冒険を要求しない。しかし、世の中、最近ではインド料理、韓国料理のほか、タイ料理もかなり目に付く。この本も10年経って改訂するとき、これらについても触れざるを得ないだろう。

('02/05/25)