東欧旅行−その3 オーストリア

- ホテルにガイドさんが向かえに来た。20年来ウィーンに住み、ガイドの経験は10年ほどだという日本女性で、オーストリア人と結婚し2人の子持ちだと言った。言葉は綺麗な日本語で、しっかり細かなところまで解る。現地人の日本語ガイドと違うところだ。ハプスブルク家の宮殿であるシェーンブルン宮殿を見学する。中欧に君臨したオーストリア・ハンガリー帝国の統治者である王家の宮殿である、立派豪勢絢爛など形容の言葉に欠かない見事なものだ。細かい調度品にまでそれが解る。
- 王家が最も華やいだ時期はマリア・テレジアが女王であった時期だ。彼女の夫は経理に明るく、テレジアの政治に役立ったという。夫婦には11人の子があり、内女子3人は政略結婚に利用されている。フランスに嫁いだマリー・アントワネットは長女であったとか。揃って画才があり、直筆の絵が残っている。寝室は執務にも使ったという。寝台がまっ四角で4畳半ぐらいだそうだ。3方まで緞帳で覆われている。当然かも知れないが、絶えずあちこちの修理があるようだ。
- 次ぎにベルベデーレ宮殿の庭を見る。昼飯前にもう一つ聖シュテファン寺院を訪れたはずだが、沢山の記憶がごっちゃになっていて特定できない。巨大な塔が向かって右にあり、対になるはずだった左の塔は途中で終わっている。沢山の観光馬車が待機していて、馬の大小便のため臭かったのはここだったように思う。中を見学したのだったか、国王の墓があり、裏正面のパイプオルガンが修理中で、側壁面の小さいパイプオルガン2基があった教会のように思う。
- 昼食はBlindengassen Beislでポークシュニッツエル(カツレツ)だった。町中の狭い席だったが、ここでも陽気なマネージャーが注文を取って回った。昼から免税店に入っり、あとは自由行動であった。伊勢丹が店を出している。聖堂と公共の建造物以外はきちんと背高が揃っている。町の建物はブダペストほどには装飾は施していない。それはそれでスマートな景観を造る。王宮に面した店はせせこましい石造りである。アンチークの店やら洋装店やら、買いものに付き合う。
- 少し早めに地下鉄駅に向かう。タクシーだと確実だが、市民の日常の顔を見るには公共の乗り物がいい。切符売り場でホテルの所在を示す地図を見せたら、愛嬌を振りまきながら1.3ユーロだと言った。地下鉄とバスは共通連結切符で、最初の?時間内なら乗り継いでどこまでも行ける。駅入口に時間刻印の装置があり、そこに切符を客が挿んで乗車する。別に降りるときに検札するでも無し、全くの無賃乗車でも解らない。ただしたまさかにチェックをするので、その時に挙げられるととんでもない額面の罰金になるとツアー・ディレクターに脅かされていた。
- 地下鉄を終点駅まで乗り、停留所を探して何とか正しいバスに乗る。そこまでに結構手間どる。あとがまた大変で、ホテルを窓越しに捜すのだが、いつまで経っても見えてこないのである。ホテルのインホメーションには5分と書いてあった。結局循環バスだったのだ。行きは5分だろうが、戻りは20分だったのである。しかしホテルのインホメィションには行きだけしか書いてなかったのだ。戻ってから、記念にとって置いた切符を翻訳してみた。Fahrschein fuer eine Fahrt Kernzone Wien im Verkehrsverbund Ost-Regionとなっていた。ある区間を区切って、その範囲でなら乗り継ぎ自由に乗れるようだ。
- 東欧旅行から戻った頃に、NHKアーカイブス・スペシアル「ミツコ−二つの世紀末」5編の放映が始まった。19世紀末にオーストリア・ハンガリー帝国の侯爵と国際結婚した青山光子とその子供7人、更にその孫たちの生涯と現代をセミドキュメンタリー形式で描く。イメージ・キャラクターは吉永小百合で、15年前の作品で、現状も補足されている。その中には30年前にドラマ「国境のない風景」として撮ったミツコの映像も随時挿まれていた。そこでも彼女が主演していたのである。年齢的にもピッタリだし、凛とした雰囲気も良く合っている。一度見たいと思っていた。
- 侯爵はチェコのボヘミヤに広大な領地を持ち、彼女はその城とウィーンを主な生活拠点にする。社交界では注目される存在であり、いつも日本を背負っていた。50歳の時、脳卒中で半身不随になり、二次大戦直前に67歳で死去した。望郷の念に駆られながらついに一度も日本に戻らなかった。我々世代には理解できる日本女性である。彼女が歩く背景がウィーンとボヘミヤ地方である。今回の旅行で見た風景なのである。じっと眺めていた。「ミツコ」の最後の方で、著名なニュース・キャスターになった孫の一人が、ウィーンを、昔文化の薫る栄光の、今は難民が通過する多民族都市と紹介するが、鋭く適切な表現に思えた。
- 次の機会があれば、じっくり1週間ほどかけて眺めたい都会であった。明くる日のオーストリアからチェコへの国境は審査が簡単だった。パスポートを見せただけである。
('02/05/03)