狂牛病


4月3日の各紙朝刊に狂牛病(BSE)調査検討委員会報告の概要が出た。読売は、「農水省に「重大な失政」、厚労省と連携欠く」と言う見出しを掲げた。中村靖彦:「狂牛病−人類への警鐘−」、岩波新書、'01には狂牛病発生の地、イギリスの政府諮問機関による同様の調査報告書が引用してある。当時の農漁業食料大臣、健康保健大臣の他、歴代の大臣や担当官僚など30人が、報告書で責任を問われているとある。日本の報告書は省という組織の責任を問うただけで、個人のそれには踏み込めなかった。イギリスの狂牛病は世界で始めての、人類にとって未知の事件だった。日本のそれは、イギリスを初めとするヨーロッパの数多くの経験、研究解析が蓄積されていた上での、予想された事件であった。責任問題についても具体的解析が、当時のイギリスに比べれば、遙かに容易なはずである。16人の本当の処分理由を明らかにすべきではないか。その立場におったからと言うのでは、相変わらず顔の見えない役所のままである。
日本の捕鯨業が禁止になった理由は国際社会の反対による。鯨肉を食う習慣のない諸国は動物愛護の観点を盛んに強調し、調査捕鯨にすら目くじらを立てて反対する。今度の冬のオリンピックでは、審判判定に問題が多かった。金メダルを取った韓国選手が失格になったとき、韓国の世論は大いに沸騰した。アメリカの新聞は、その興奮ぶりを「韓国人は犬肉をたたきつけて・・・」と皮肉った。アメリカ人は、韓国人が犬肉を食う習慣をおぞましく感じているのである。自己の文化にない習慣は、全てパッシングの対象になると言うのが彼等流である。では彼等は愛護精神に乗っ取った飼育を行い、人格ならぬ動物格を尊重した尊厳死で、牛豚などを安らかにあの世にお送りしているのだろうか。とんでもない話だ。利益目的の、仮借のない飼育屠殺である。中村さんの本で、私は始めてヨーロッパでの家畜の扱いを知った。
牛を肉骨粉で飼育する。牛は草食動物の筈である。それだけで動物虐待だ。子牛は母牛の牛乳を貰えず、切り離されて液化肉骨粉で育てられる。牛乳は売りものだからだ。肉骨粉とは、死骸から肉を削ぎ落としたあとの脳味噌、骨髄、内臓、目玉などの不要廃棄物である。農家の立場では、穀物より安く、廃棄物処理の手間が無くなり、一見理想的なリサイクルである。日本では配合飼料に動物性飼料を混ぜる習慣がなかったから、欧米に比べれば1頭が食った肉骨粉の量はごく少量なのであると言う。そもそも草と穀物だけで飼育しておれば、狂牛病など感染蔓延する可能性はゼロであったはずだ。感染物質プリオン蛋白質は上記不要廃棄物に濃縮されているのである。
ではどのように屠殺するか。牛は瞬時に昇天させてもらえない。まずエアハンマーで殴られて気絶させられ、額に開いた穴にワイヤーを通される。手足をばたつかせない処理だそうだ。この半殺しの状態で先ず血抜きをやる。そのあと解体だ。島崎藤村:「千曲川のスケッチ」に屠牛場の見学記がある。屠手はまず「その前額の辺りを目がけて、・・大鉞の鋭い尖った鉄管を骨も砕けよとばかりに打ち込む・・」、つぎに気息奄々となった牛の血抜きにかかるとある。基本的にはこの100年前と同じだ。味を少しでもよくするために、血抜きを徹底してやりたいから、半殺しも仕方がないということだろう。残酷な話だ。昔英国で、日本のスッポン料理の調理法が残虐だと、騒がれたことがあった。スッポンの殺し方が悪いと云うのであった。彼等の頭の中は、どういう構造になっているのであろうか。
ヒマラヤシーダーは、シーダー(杉)ではなく、マツ科の植物だ。ヒュウガミズキもトサミズキも、ミズキ科ではなく、マンサク科である。間違ったままで使っている。代官町に代官邸は残っていないし、大工町と言っても大工が集まったのは江戸時代である。紺屋町も同じだ。だからといって、歴史を物語る名前を変える必要はない。狂牛病とは俗称だが、病状を言い表して妙である。日本では、官もマスコミも先月頃から、狂牛病の表現を止めてBSE(Bovine Spongiform Encephalopathy)と呼び出した。その和訳は牛海綿状脳症だそうだが、始めてBSEと聞いて、牛がのたうつ姿を思い浮かべられる人は日本人にはおらぬだろう。狂牛病ならそれがある程度は分かるし、ここ何年も使い続けてきた。新村出編:「広辞苑」、第5版、岩波書店、'98にも狂牛病はあるが、BSEはない。むやみやたらに、古く馴染んだ名前を変えないで貰いたい。占領軍を進駐軍と言ったり、癩病をハンセン病と言い換えたりで、大衆が受ける印象を言葉で誤魔化す方法は、官やマスコミの常套手段なのかも知れないが。
生命とは、核酸を通じて、引き継がれ増殖するものである。だが、この狂牛病の病原体は異常プリオン蛋白質で、核酸が感染に介在しないと云う。異常プリオン蛋白質が正常な蛋白質を異常に作り替え、自律神経を伝って中枢に達し、脳を侵して運動の機能を損なうという。ウィルスよりも原始的な生命と位置づけられるものなのか。残念ながらそんな議論は出てこない。作用機構も上述程度で、これ以上突っ込んだ解説はない。最新の「新英和大辞典」、第6版、研究社、'02でprionを引くと、「狂牛病など変性神経疾患の原因とされる感染性小蛋白質」と出てくる。「生物学辞典」第4版、岩波書店、'96でも独立の項目にはなっていない。まだ概念段階なのであろう。一旦罹ったら死ぬ以外にない。だから、疫学的調査に基づいた成果がこの本の土台である。
狂牛病が人に感染し、長い潜伏期間を経て発病させる。その病気を変異型クロイツフェルト・ヤコブ病略してvCJD(v:variant)という。狂牛病は羊から来た。羊には震え病という病気があって、羊の肉骨粉を食わされた牛が感染したのである。牛と羊は反芻動物の仲間だ。だが、違う種から違う種へは、なかなか移らないそうだ。豚や鶏は肉骨粉で発病していないそうである。しかし人間には感染した。人は豚や鶏よりずっと長生きだから、潜伏期間を寿命が追い越すためであって、人間が特別弱いわけではなかろう。同じ種の中で今回のような共食いをやると、感染が一挙に拡大する。ニューギニアには人食の習慣が続いた。人が死ぬと近親者がその身体を食う。そこにvCJD類似のクールー病の局地的発生が見られたという。
著者は、牛のプリオン蓄積不安部位が、意外なところで顔を出すことに、警鐘を鳴らしている。フランスのグルメ料理に、脳が素材になっているものが結構ある。肝臓は高級料理だそうだ。牛エキスはブイヨン、コンソメ、あるいはインスタントラーメンのスープなどにも使われる。ゼラチン、牛脂もあるが、これはプリオンと関係が浅いのだろうか。化粧品にも危ないものがある。美白化粧品に牛の胎盤を使ってきたそうだ。コラーゲンも牛からだ。医薬品としても数々の部位利用がある。著者の説法は更に続き、輸入に頼っている食品全体の安全性チェック、フアーストフード、インスタントフードへの反省、薬害ヤコブ病からの教訓にまで及ぶ。

('02/04/08)