村上市

- 村上、新発田、鶴岡の3市は北越後から庄内へかけて隣り合った中都市である。いずれも10-15万石の中規模大名の城下町として発展した歴史を持つ。観光地としては中途半端で、何度か旅を計画しては断念した。JRで特安の「大人の休日」切符が売り出されたのを機会に、この3都市をこの順序で訪問することにした。3日間有効だから、毎日1都市を日帰りで訪問する旅である。年令も考えてグリーンパスにした。同類の士も多いらしく、羽越本線を走る特急のグリーン車はいつも満員で、グリーンパスが有効だったのは1度だけであった。
- 旧町人町一帯で家々に伝わる人形を見せてくれる。北九州の日田の町でも、雛の節句のころに、町家雛を公開していたのを思い出す。あそこのせまい道を歩いたのは10年ほど昔であったか。ここの殆どは雛人形だが、五月人形もある。お輿入れの道具ではなく、子供の誕生とともに買い揃えたというものが多い。享保雛、古今雛と見るからに古びた人形たちが、昔風に男雛を右に女雛を左に、つまり今とは逆に並べられていたりする。雛の衣装の意匠は素晴らしいが、染色は一般に地味すぎるほど地味である。長い年月で色があせた分もあろうが、元々がそうであった分もあろう。
- 土人形が幾つも並んでいる。一般町民は土人形を飾ったものだとその家の主がいう。人形は店頭展示の場合もあるが、奥の座敷に飾られたものの方が多い。おかげで古い町屋の構造を垣間見ることが出来た。京都と同じうなぎの寝床型である。土間と畳部屋が平行してずずっと奥まで繋がっているのが基本構造と見た。真ん中に坪庭がある家も何軒か見た。古い家は大抵築後100-150年と言った。
- 堆朱(ついしゅ)とは、朱漆を何度も塗り重ねて厚くし、それに模様を彫刻したものとドクターマウスの字引は云っている。名産の1つである。何軒かある漆器店の展示品を眺めて歩く。茶も特産らしい。村上茶と産地表示している。益甚は鮭の加工品を製造販売する店だ。干し鮭の酒びたしなんてな商品がある。奥が工場である。中間加工品の塩漬け鮭が天井から何百本とぶら下がっている。どんどん奥に進むと次の通りに出てしまった。どこかの看板に三面川の鮭と出ていた。
- 重要文化財若林家住宅は今回観光の目玉である。知行150石取りの中級の武家屋敷だ。者頭役を務めていたときは役料に更に200石がついた。玄関は殿様用主人用とあり更にお勝手口がつく。今まであちこちで見た武家屋敷より間仕切りが多いようだ。その分一部屋の面積が小さい。廊下も畳敷きになっているので、正確ではないが、8-9部屋はあったように思う。座り台所が珍しい。雪囲いはまだ取れていなかった。雪国の生活は鬱陶しい面もあっただろう。雪釣りの残っている庭は広々としていた。今ならちょっとした会社の社長さん住宅である。
- 隣の村上市郷土資料館(オシャギリ会館)に村上大祭の祭り屋台(シャギリ)を展示している。町毎に自慢の屋台を持っていて、祭では乗り子を載せ囃子方が音曲を奏でつつ引き回す。村上市には昔ながらの町名が残っている。細工町、鍛冶町、大工町、寺町、肴町、塩町、庄内町、羽黒町、加賀町など名前だけで昔の歴史を思い浮かべることが出来る。古い町名を捨てて、東京風の町名に変えてしまった町があちこちにでた中で、よくぞ旧名を残したものだ。車輪が御所車のように漆塗りの立派な拵えであるのが気に入った。町中を練り歩くのは他に傘鉾と荒馬である。荒馬は本物のお馬に乗るのではなく、人が張りぼてを連れ歩く形のようだ。
- 資料館の2階ではひな人形展をやっていた。藩主家内藤氏が明治維新後に売り立てた大名雛および雛道具が目玉の展示品である。類似の品は大分県の臼杵美術博物館でも名古屋市の徳川美術館でも見た。前者は稲葉家のもの後者はもちろん尾張徳川家のものである。だから豪華さに特別な驚きはない。箱書きに買い取り価格が258分(=64.5両)余とあるそうだ。現在価格1両10万円なら650万円である。雛道具は別らしい。今でもこれだけ出せばたいそうな品が買える。大名雛はお輿入れの時に持参されたもののようだ。内藤家は東京に移り住んだらしい。雅子様お里の小和田家はここの武士階級出身であることを成婚記念人形で知った。
- 臥牛山(お城山)の頂上付近に本丸の石垣跡を眺めながら駅に急いだ。3時間余りの訪問だった。
('02/03/18)