シャッフル・ボード

- 客船では退屈を紛らわすために色んなレクリエーションが企画される。シャッフル・ボ−ド、ペタンク・ゲームにパット・ゴルフは甲板で行う遊戯ゲームである。どれも簡単なゲームで、1-2回練習すればあとは何回やっても殆ど技量は変わらなくなる。陸上ではやっていないだろうから立場は皆平等で、ゴルフのようなハンディなど必要ではない。もっともいつかの新聞にあったように、クイーンエリザベス2世号を終生の住処にしている英国のご婦人のような方が乗っていると話は別だ。
- 陸のゴルフには苦い思い出がある。10年以上のゴルフ歴があるが、優勝はたったの1回だけ、それもプライベート・コンペだった。いくらハンディを貰っても勝てぬものは勝てない。勝つやつはいくらでも勝つ。ずらっとカップを棚に並べて、次は何処へ置こうかなどと心配している。私はブッシュに打ち込んだ球をリカバーしようとしたとき、ぎっくり腰になってしまい、そのまま引退になった。未練が残っては腰のためにならないと、ゴルフ場の会員権も放棄させられた。だいたい10年経ってもハンディが20を切らなかった。仲間内ではもう諦められていて、カップを持って行く心配のない、良きコンペ協賛同好会員として扱ってくれていた。
- 私らはシャッフル・ボードに2回出て2回とも優勝してしまった。私は上述のざま、家内も運動神経には全く自信がない方だから、相棒になって下さった、あとの二方のおかげである。そう、4人が一組になってゲームを行う。結構な賞品−初めは目覚まし時計、後では腕時計、いずれもその船のオリジナル・グッズ−を貰って意気揚々であった。
- 賞品を貰ってからふと戦艦長門の甲板が頭を過ぎった。阿川弘之の小説「軍艦長門の生涯」に、昭和天皇が摂政宮皇太子の時代に、長門の甲板で海軍士官を相手に、似たようなゲームに興じられたことが載っていた記憶があったのである。わが家に戻ってから読み返し始めた。昭和51年刊でもう本の紙は黄化し始めていた。結構分厚いので大変である。CDになっていれば検索マシンで一発なのにと、ぼやきぼやき少しずつ初めから読み進めて、とうとう一昨日その文に到着した。第13章である。そこには次のように書いてあった。
- 「皇太子は、・・デッキゴルフを、長門の艦上でも楽しまれた。・・甲板に、チョークでマークをつけておく。ボールに相当するものは、木製の平べったい円板である。耳かきのお化けのような棒で、これを突き辷らせてマークの中へ入れたり、相手の円板をはじき出したりしてポイントを争うゲームで、デッキビリヤードともいい、ルールはゴルフと玉突きの折衷のようなものであった。」皇太子はルールには厳しく、しかし喜々としてゲームに興じられたとある。大正14年の話である。長門とは戦前日本連合艦隊の旗艦を勤めたエース戦艦であった。
- どうも皇太子がなさったデッキ・ゴルフは、この記載から考えると、われわれのシャッフル・ボードに近いゲームであったらしい。大正14年とは昭和天皇の御生涯で一番平穏な時代であったと思う。御即位後の恐らく心休まる間もなかったであろう時代を振り返って、引退で黄昏を迎えつつある我々が、洋上でシャッフル・ボードを楽しめた幸福を身に浸みて感じる。
- 今では18ホールのパット・ゴルフ・コースを売りものにしている大型豪華客船があるそうだ。豪華競争は何処までも、であろう。外国の船である。そんな船でも今の日本では普通の年金生活者の射程距離にある。私は小学校を出る頃は都会は焼け野原の食糧難、就職したときの実質手取りは月1万円あるかなしだった。ドル換算で比較すれば現在の新入社員の実入りはその30-50倍はあるだろう。敗戦国無資源国のハンディを負いながら、平和を維持し勤勉誠実に働いた、殆ど自助努力と言ってもいい結果である。アフガンの新しい指導者は是非私どもの歴史を素直に学んで欲しい。これからを担う日本の若者にも同じことが云えそうだ。
('02/01/24)