正月の一面記事


アフガニスタンではテロ志向集団の掃討がおわりに近づき、疲弊した国家の復興支援が本題に成り始めた。復興支援国際会議が東京で開催される。読売はさほどでもないが毎日は出席者の声を丁寧に紹介している。
日本はもう緒方貞子議長の呼びかけに応じて具体的に早々と援助額を提示している。他に拠出金額を会議前から具体的に示した国はないはずだ。被支援国はこの誠意をしっかり受け止めて欲しい。TVで永六輔がイスラムには喜捨されて感謝する習慣はない、喜捨する方が感謝せねばならないと云っていた。この話は何度か聞いたことがある。阪神淡路大地震記念日の報道では、当時援助を貰った人々が7年後の今もその援助に感謝の言葉を述べていた。正反対の発想の文明圏にいることは承知している。しかし拠出するのはこちらである。こちらの文化にあわせない相手にはいずれ嫌気を感じるであろう。好意を笠に着たと思われるような発言は国税を担う国民の反感を買う。アフガン議長カイザル氏は、財布の紐を開けようとしない、あるいは手の内を駆け引きに使おうとする諸国をまずしつこく追い回すべきだ。ことにイスラム圏にある国々とは同文のよしみがあるはずだ。石油の海に乗っていて、わが国のような無資源国から見れば、まことに羨ましい環境にある国が多いのだから、頼み甲斐があるはずだ。例えば石油利権の10%をアフガンに与えると云えば資金的には直ちに解決するのだから。
国連難民高等弁務官は「金持ち」日本は3-4万人の難民を受け入れよと云っていた。「金持ち」なんて言葉が入るだけでも、このお人が2流であると感じる。イスラム圏の難民を引き受けるべきは、まずはイスラム圏の国々、その次が同じ旧約聖書を奉じるキリスト教圏、ユダヤ教圏の国々である。我々はイスラム教が排斥する偶像崇拝型の宗教・仏教を文明の中心にしていることを忘れてはならない。今回の騒乱でバーミヤンの大仏も博物館の仏教遺物も復旧不能なまでに粉々になったことを忘れてはいけない。アフガンに戦争を仕掛け今日の荒廃をもたらした責任から云えば、アメリカ、ロシア、イギリスである。この高等弁務官は彼等に何人を引き受けよと云ったのか。戦争責任で云えば最大の責任はアフガニスタン人自身にある。だがそれに対する反省の弁は聞いたことがない。1億総懺悔から復興を出発した日本民族から見れば、どんな援助をしても元の木阿弥に戻りはしないかという危惧を払底できない。
日本政府が、顔の見える援助という意味で、モデル地区建設を提案しているのは歓迎すべき発想である。放っておくと、国連とか援助集団のプール金になって、少しも我が国民には見返りが来ない。対中国のように毎年2千億円という大金を援助しているのに、民衆は誰も知らず、口を開けば歴史歴史と言い立てられたときの腹立ちさは誰しもが感じたことであろう。小泉内閣の支持率が一向に低下しない理由は、こんな国民への配慮がタイミング良く出てくるとことにあるのだろう。
国内問題ではまたまた国会議員が注目を集めた。一つは口利き料問題である。表沙汰になったのは、加藤紘一自民党議員の私設秘書佐藤三郎氏と、民主党鹿野道彦議員の私設秘書尾崎光郎氏である。小泉首相は早速、私設秘書をあっせん利得処罰法の対象に入れる検討を指示した。迷いがなかったのがいい。毎日1/16朝刊に「不正の底で秘書暗躍」という見出しの記事が出ていた。中小企業向け融資保証制度が利用できるように東京信用保証協会に口利きした国会議員都議が約450人おり、3年間で1万件に及んだと書いてあった。2-3割は回収不能になり、税金で穴埋めをすることになったはずである。この保証制度は、出来た当座から悪用が懸念されていたが、予想通り選良?ビジネスの絶好の標的になった。
もう一つは歳費削減問題である。読売1/16朝刊にわが国とアメリカ、イギリス、ドイツとの議員費用比較が出ていた。個人費用は日本の方がイギリスの3.7倍、ドイツの2.8倍で、これに政党補助金を入れると日本の経費はダントツである。アメリカとの経費比較でも政党補助金を入れるとトントンぐらいである。国家国民の経済状態などお構いなしに、出身地に道路を建設させようとあがく族議員を見ていると、3-4割はカットしていいのではないかと思う。ここでも小泉首相は、道路公団民営化の推進委々員人選に国会同意を求めずとやって、民衆にアピールすることを忘れなかった。国会は行政府ではないことを明言したものとして評価できる姿勢である。
シンガポールの医療保険問題に関する報道は考えさせる内容であった。昨年のNHKスペシャルの再放送であったと記憶する。まず一般医と専門医の区別があること。実は杉本良夫:「オーストラリア」、岩波新書、'00でオーストラリアにはその区別があることを承知していた。世界的な傾向なのだろうか。日本には専門医だけしか無く、そのくせ面倒になると、それは大学病院の仕事だと言ったり、大学病院に行くとこんな簡単なのは町医者で見て貰えと言われる。掛かり付けのお医者も専門医紹介の配慮は薄く、敢えて頼むと看護婦に聞いている。いずれも在住の千葉市内で経験したり見聞した事実である。医学がどんどん進歩して民衆とのギャップが広がった。先端技術と我々を繋ぐ仲介役の医者が必要だし、たいがいの病気は先端技術まで行かなくてもいいはずである。日本では町医者が大体一般医に相当するが、役割を明確にして、医業の有機的ネットワーク化による効率化で医療費引き下げに対応して貰いたい。
国家とか健康保険組合の医療費負担は日本では一律無制限に近い。シンガポールでは個人が医療保険積立口座のようなものを持ち、医療費はその中から支払う自己負担型である。もちろん国家補助企業補助は種々の形でつく。積立口座は家族のそれが使えるし、ゼロとなっても最後は国家に頼れるようになっている。だが、例えば病室には自前の割合に応じたランク分けがされている。欧米の老齢化に伴う健康保険の破産を参考にして案出された制度と聞いた。日本では病院が高齢者のサロンになっている話は事実である。医療を完全社会保障型に保ったままでは破産は目前である。自由社会に相応しい仕組みが医者側にも患者側にも必要だ。シンガポールでは大半が保険の利く公立病院であるが、1割程度は無保険の高級医が集まる私立病院だという。こちらの医療費には公定はなく医師の腕次第となっている。公立病院も赤字経営は許されず、まるで商店街のようなフロアまで作って患者集めを競争している。日本で共産党から立候補する人に医師が多いのは、わが国の「何処よりも進んだ」医療の社会保障システムが原因しているのではないか。
保険財政改革について三方一両損と小泉首相は自画自賛した。実際の医療側の傷みは一分(1/4両)どころか一朱(1/16両)ぐらいではないかと思える。それでも今までの内閣が日医軍団に全く歯が立たなかったのに比べればましである。先に紹介したシンガポールの報告の中に、公立病院に運搬ロボットが走り、カルテの自動配達器が動くのを見た。合理化は医術だけから来るのではない。機械がそうさせるのか、唾を吐くと罰金の徹底した衛生国家であると知っているせいからか、映像の中のシンガポールの病院はえらく清潔に見える。多分点滴液からの院内感染で、7人を1週間の内に殺してしまった東京の脳外科病院が、日本の医師が考える平均の医療水準だとしたら、我々はいつの間にか医療については後進国レベルに下がりつつあるのではないかとさえ思える。何事も独占にあぐらを掻くのが相対的退歩の源である。もう英語の分かる人も多いことだから、医業の国際自由化が、医療技術の向上と、冒頭の一朱を一両にする新しい発想である。

('02/01/21)