ひかる源氏物語


源氏物語の映画化はもう何回目になるのだろうか。最初は伝説の美丈夫・長谷川一夫の主演であった。たいそうな評判を取ったと聞いていた。大映の第2作は宇治十帖の映画化で、やはり長谷川一夫が今度は光源氏の息子薫の役で主演した。他にもあるようだが、私の記憶はそこまでである。戦前の映画化は聞かない。宮中の恋愛模様が主題だから、おそれ多くて、とても映像化は出来なかったのだろう。それどころか皇室の尊厳を傷つけるとかで、「軍閥政権のはなやかであった時代においては、ついに焚書の論さえも一部の過激派の間には叫ばれるに至った。」と、かの有名な源氏学者・池田亀鑑先生が書いている。書かれた当時・平安中期ではどうだったか。紫式部の弟が後難を恐れる台詞が映画に出てくる。多分文学的価値が低ければ弟の言葉通りになったであろう。やっぱり公開には勇気の要る作品であったのだと思う。
早川暁の脚本は作者の実生活を小説の世界と交差させて独特である。丁度千年昔の今頃恐らく彼女は昨秋に着手した須磨の巻を、琵琶湖々畔の石山寺で書き上げようとしていたであろう。石山寺には彼女が使ったとされる部屋が保存されている。早川源氏には石山寺が出てこないのは、長大な54帖に更に紫式部を盛り込むためにカットせざるを得なかったのだろう。中宮彰子にお仕えし始めるのが夫を亡くして4年後の、多分彼女が30歳前半の頃で、パトロンの道長が死去するのがそれから20年以上経った後である。演じる吉永小百合はそのころの彼女の年齢であろう。源氏物語は出仕を挿んだ10年ぐらいの間に書かれた。須磨の巻は、総じて絢爛優美平穏な平安宮廷絵巻の中で、唯一都落ち離別暴風雨大時化へと舞台装置が回転する奈落のシーンだから小説の重要部分である。そこから書き始めたというのは伝承で確たる証拠はないらしいが、大事な場面から書くという手法は物書きにはごく普通であろうから、私には事実であったように思われる。映画でも丁度良いアクセントになっていた。
教育の素材に源氏物語を使って、まだ少女の彰子の愛情に対する目を開かせるという設定には無理がない。中宮定子付きの女房清少納言が「春はあけぼの・・・」と才気溢れる教えかたをするのと好対照で、宮廷サロンの戦いを髣髴とさせる演出であった。紫式部の夫が父の任地越前で海賊に殺されるのは虚構だろう。その夫は娘・賢子を抱き上げて「紫式部は面白味のない女だが、才能を受け継いだ賢子の末は女御更衣に」と夢を立身出世に掛けて呟く。この俗人の夫は参議でまずは上流貴族、紫式部は中流貴族の出身で正室ではない。上流貴人の妻や愛人とは距離を置きたい明石の上はそんな紫式部の自画像という。清く賢い。実生活で、道長をあくまで拒否し続ける凛とした姿勢は、吉永小百合個人に付いて回る印象と重なる。全般に殿上人たちとの人間関係がさらりとうまく描かれている。
小説の部で一番難しい役はもちろん光源氏であろう。それを天海祐希なる女優がこなす。宝塚の男役だったのだろうか。映画の中で女が男を正常に演じるなど初めてである。小説の部と現実の部をはっきり区切っているから可能になったのであろう。バーチャルな世界を演出するのに揚げ羽の君と称する松田聖子が空に浮かんで歌う。どうも目障り耳障りであった。揚げ羽の君など元の源氏物語にはなかったと思う。光源氏の次ぎに難しい役柄は六条御息所であろう。怨念とかもののけとか霊に纏わる、当時は信じられ現代では否定的な存在を、もっとも印象的に演じなければならないからである。伊勢に下る御息所の牛車が光源氏を襲うかのような錯覚を映像化したシーンは見事であった。そのほかはナレーションと台詞だけで良かったのではないか。
源氏物語絵巻の原画復元が試みられているという(NHK TV)。一方100歳の西陣織匠がその織物化に既に30年を費やしていると昨日TBS TVで知った。華やかな絵巻の中で唯一惨めなシーンが蓬生である。スポンサーが途絶えた末摘花の邸は荒れるに任せて狐狸が住む場所になっている。そこをたまたま通りかかった光源氏が昔を思いだして立ち寄るシーンである。高貴の生まれで気位が高いが愚直なまでに誠実な末摘花は、源氏物語の中では特記すべきキャラクターである。残念なことに、この姫は鼻が紅色(末摘花=ベニバナ)でブス代表なのである。この映画では光源氏が明け方に姫の赤鼻にたじろぐ姿だけしか入れていない。末摘花は作者・紫式部の男性への訴えを語る大切なキャラクターなのだから、もう少し別な扱いようがあったのではないか。
小説の部は光源氏が亡くなった紫の上の文などを焼くシーンで終わる。第41巻「幻」にある数え年52歳の姿である。光源氏は無常観に駆られ、出家する決心でいる。現世の部では道長が金銅の仏像と赤白の綱で手を結びあってあの世に旅立つ。著名な阿弥陀如来信仰の臨終行事である。仏教の説く世界はなんとも切なく哀れである。

('02/01/16)