
- この教科書は、話題沸騰の「新しい歴史教科書」と共に、今も書店々頭に並んでいる。小学校(国民学校と言った。)で戦争が終わり、中学校から新教育を受けた我々には、公民という学科には馴染みがない。一読して、国民が社会生活に取るべき姿勢を社会科学的に明らかにしようとした力作だと感じた。まあ我々世代に翻訳すれば、小学校の修身と中学校の社会を混ぜたような位置付けなのだろう。
- 我々は卒業してもう何10年なのだから、教科書の中身は一応は全て会得しているはずである。しかし立場とか好みにより知識経験の内容にどうしても精粗がついてバランスを欠きがちである。大人が社会を再認識する生涯教育の教科書としても悪くない本だ。そういえるほどの分厚さがあり、中学生の教科書だからと、一気に読み飛ばせるなどと思ったら大間違いの充実した中身である。ただ、今の中学生の国語力で読みこなせるかなと、微かな危惧の念が頭を擡げたのも事実である。
- 「地名を守る」というコラムがある。思い当たる節がある。もう何10年も昔だが、関東に来て落ち着いた頃に古河の町並みを見に行った。ガイドブックに記載されている町名が消えていた。代官町、大工町。前者は大手町とかになっていた。後者は忘れた。過去との繋がりでしか社会は保てないのに、それを捨てるとはどういう了見かと、市民の良識を疑った。
- もっと酷いと思ったのは北朝鮮からの里帰りの婦人達であった。親から貰った名前を全員が揃って捨てていたのである。国際結婚で改宗を条件にされたという話は聞くが、名前まで変えねばならなかったケースは北朝鮮だけだ。そうしないと北朝鮮では生きて行けない事情があったのであろう。北朝鮮は、これで文化的優越性を示し得たと思っているのかも知れない。おぞましい文化である。神を奪う、言葉を奪う、名前を奪うなどは民族制覇の第一歩で、あってはならぬ事である。
- 「住民投票について考える」というコラムがある。原発や廃棄物処理場は国家全体の利益に関わる。今喧しい地球環境問題に直結する国際問題でもある。それをその土地だけで否定していいものか。沖縄米軍基地問題とて同じだ。国家とか民族とかとの平衡感覚が養われていない直接民主主義の陥る危険性を指摘している。では平衡感覚はどうしたら養われるか。アメリカ国民は今度の多発同時テロで見事な纏まりを見せた。国旗掲揚、国歌斉唱すらままならぬ日本だったら、大型交通事故ぐらいにしかならないのではないか。
- 世界が国家単位である以上は国民意識は必要である。逃げられぬ枠組みとしての国家が歴史に書き留められている。衆愚政治のブラックホールに吸い込まれないための国民意識を涵養するために、共有する歴史をしっかり勉強しよう。偏狭なナショナリズムを生むのではなく、世界の他民族文化を理解出来るような包容力ある学習で、これからの国際化に立ち向かおう。まあこんな主張と思う。その通りである。科学技術の発達でグローバリズムの波が押し寄せている。だが、どこもかしこも世界標準を信仰しておればよいのかと問えば誰もノーと言うだろう。そのためにもご都合主義の無国籍派を作ってはならない。
- 学習資料という付録が付いている。日本国憲法は全文が掲載されている。何10年ぶりかで終わりまで読んでみた。施行後半世紀以上無修正で来た。やっぱり時代遅れの条項が目立つ。第1の問題は第2章戦争の放棄だ。自衛隊の軍備は第9条Aと素直には合致しない。周辺諸国に第2章相当の条項がその憲法に現れるまでは、Aを軍隊の常備に置き換え、更に別途Bとして国民の国防義務を盛った項目を作るべきである。第1章天皇、第3章国民の権利及び義務は既に国民に定着した。柔軟性を乏しくする細かい規制は省くべきと云う観点で云えば、もっともっと簡単にすべきである。第4章国会、第5章内閣は手続きの完璧性を追求する余り、政治が時代のテンポに乗り遅れる恐れを抱かせる。第8章地方自治には住民投票に関しエゴに対する歯止めの明文化が望ましい。
- 欧米民主主義国家では、何度も自国憲法に修正を加え時流に合わせている。我々は憲法を民主日本安定のための安全弁と考えてきた。だから位置付けは重々しかった。軍国主義へのU-ターンの悪夢が残っていた時代はそうでも仕方がなかった。今は違う。憲法共有意識の定着が大切だ。マッカーサー憲法意識からも脱却しよう。修正投票ごとに憲法は身近なものになって行くだろう。
('01/09/30)