弘前その二


翌朝は空が晴れて、遠くに岩木山が頂上に雲を頂いている姿が見えた。ここの富士見という地名は勿論津軽富士のお岩木山が見える場所という意味だ。岩木川の川面に霞が棚引いている。
チェック・アウト後、荷物は駅のコインロッカーに預け、歩いて最勝院五重塔へ。道を間違えて、結局弘前高校の運動場を横切って戻った。この道は行きずりのおばあさんが教えてくれたもの。写真になるお寺だった。真言宗で大師堂も備わっていた。昔の神仏混淆の名残であろう、殆どその境内と言っていい場所に八坂神社がある。やや行くとお稲荷さんがある。赤い鳥居が連なっている。社殿の周りは植物園のように一本ごとに品種が違う。珍しい。先の寺もそうだったが、ここでもおばさんが落ち葉掃除をしている。土地の人らしかった。
新寺町と言う。あるわあるわ小さなお寺がずらっと並んでいる。昔都市計画にそって寺を集めた。寺町造りの元祖は秀吉であろう。数人の小学生のグループいくつかが挨拶をして通り過ぎる。遠足かと問えばどうも社会の実地研究らしい。五重塔から1kmも歩いただろうか、まだ奥に何軒かの寺が見えたが、長勝寺に向けて直角に曲がる。きつい下り坂で歩道はない。その端を縦に並び私が3mほど先を歩いていた。嫌な予感がして振り向くと、家内の真後ろを自転車に乗った男がハンドルを切り外して、1-2m崖下のコンクリートの坪庭に落下するのが見えた。すぐ助け起こす。顎下と足首を少々切った程度の軽傷だった。自転車が2台落ちている。片方は彼の運転していたもの、もう一方は空でそれを転ばしながら運搬していたという。ブレーキが利かなかったと言い訳した。もしも家内に後から衝突していたなら、家内は背骨を折る大事故になって命があっても寝たきりになったことだろう。危なかった。道路の反対側を歩いていたおばさんが様子を見に来た。男は年若でごく正常に挨拶したからまあ深追いはしなかった。自転車は1台は無事だったがもう1台はフレームが折れていた。多分乗っていた方だろう。後の自動車が迫ってきたので端へ寄ったのだろう。弘前市内は幹線道路以外は歩道がない。旅行者はご用心ご用心。
長勝寺と禅林33ヶ寺は更に1kmほど歩いた場所にある。新寺町でも寺が軒を連ねていたが、それは道路の片側であった。ここは両側更に支道の奥まで寺で埋まっている。一番奥の長勝寺が津軽家の菩提寺という。昭和58年に来たときは藩侯位牌所まで案内して貰ったが、今回は寺内の風景を楽しむことにした。三門、庫裡、本堂など。新寺町もそうであったがここにも花屋がたくさんある。丁度お彼岸の日である。彼岸団子を売る店も見かけた。お参りの車なのか道路の歩道をびっしりと駐車場代わりにしていて車道を歩く羽目になった。ブロック塀にコンクリート造りの本堂という寺もあり、雰囲気は昔ほどではないだろうが、それでも祖霊を敬い仏に帰依する姿勢は伝えられている。
歩いて城跡へ向かう。お城の向かいに藤田記念庭園を見つけた。藤田謙一氏は土地出身の名士で昭和3年には日本商工会議所初代会長に就任した人という。高台部と低地部に別れた面白い日本庭園で、建造物は高台部にあり、低地部には高台側からの滝がかかっている。元の日本式家屋は一度火災で焼失し再建された。洋館はこぢんまりした大正風で、1Fの喫茶室はなかなかの雰囲気であった。みやげにこぎんのティッシュ入れを買う。ここから城内に入り植物園を見る。時間の関係で半分しか見れなかった。しっかり見たのは白神山地生態園と郷土の森である。ここには三の丸庭園があるので、それも見たかったが諦めた。駅まで歩く。昨日と同じ道である。駅の田中屋とか云う津軽塗の店でループ・タイを買う。津軽塗にも色々あって、これは七子塗。
戻りは弘前14:26発かもしか2号に乗り秋田周りで千葉に21:15到着。北東北の線路脇には関東では普通のセイタカアワダチソウの影がなかった。千葉では背が伸びてそろそろ目立ち始めている。しかし北東北ではススキの穂ばかりである。このアメリカから来た精力の強い雑草も北国の寒さには勝てないと云うことか、それとも今の時期では目立たないだけなのか。こまち号の秋田盛岡間はミニ新幹線区である。線路幅は在来線の狭軌から広軌に広げたが、それ以外は今までの田沢湖線を活用したという鉄路に興味があった。列車は遅い。在来特急の130km/h程度のようだ。八戸あたりでミニ新幹線歓迎の立て看板を見たことを思い出す。東北本線の盛岡青森間をミニ新幹線化する予定なのだろうか。秋田新幹線は路盤こそ従来のままだが、踏切は跨ぎ橋やトンネルによって完全に立体化されていた。東北本線も立体化工事が所々見られたのはこのミニ新幹線化が目的か。
忙しい旅だったが、自分の足で自由気ままに歩く楽しさは又格別であった。

('01/09/24)