津軽


太宰治の「津軽」を読んた。太宰は北津軽郡金木町の出身で生家が一般公開されている。昭和19年5月に帰郷し、その旅行記を私小説風に書き上げ出版した。史書文学書などを縦横無尽に引用する才気炸裂の旅行談義で、敢えて云うなら自らの原点、津軽人気質を追求した旅日記という印象である。正味177ページの文庫本なのに、注釈が447ヶ所も出てくる、読み辛いと云えば読み辛い本だが、この地方何度目かの旅−竿灯・ねぶた祭クルーズ−を終えた今、色んな印象が重なり合って、楽しい読書であった。
クルーズでは早朝に秋田から津軽海峡に入った。竜飛岬を過ぎる。青函トンネル工事を背景にした映画「海峡」で、吉永小百合演じるヒロインが自殺しようとしたのはあのあたりだったと、黒いシルエットの中にロケの現場を見遣る。散歩の若いスタッフに云ったら、高倉健が主演だったと知っていた。発電用の風車が何本も立っていた。本州日本海側の最北端で、山が迫るこんな場所にも集落が続いている。JR津軽線終着駅の三厩は、昔は北海道に渡る港として栄えたという。だから「津軽」のころまで分不相応な宿が青森からの街道筋に並んでいたらしい。ただし、竜飛の部落へはそこからは心細い歩道があるだけだったと「津軽」には書いてある。ここらの地名は蝦夷に語源があるものが多いともあった。
青森は県都とは言いながら新しい町である。二十歳代の頃の青函連絡船の記憶、ジャンボリンゴがあったリンゴ市場の記憶、最近だが、空港から八甲田山への車窓からの記憶ぐらいが残っている。今回もねぶた以外はバス車窓からの観光に留まった。郊外の三内丸山遺跡は新しい観光名所になっていた。こうとなったら徹底的に復元したらよい。太古にエゾニワトコの酒が造られていた証拠があるというなら、その酒も醸造して名物にしたらよい。弘前はガイドブックに則ってたっぷり半日歩いたことがある。繁華街の土手町からねぶたの館、仲町武家屋敷群、城址を通って寺町の寺を丹念に見て歩いた。まだ若かったのにその日は結構草臥れたのを覚えている。どこかのお寺では大黒さんの案内で歴代藩主の位牌を拝んだ。歴史のある町はいい。あのときは紅葉の頃だった。桜の季節に是非もう一度訪れたい。
五所川原のたちねぶたを見てから、金木の太宰治の斜陽館に入る。生家の津島家は今も名家だが、当時は津軽の5指に入る素封家で一帯の大地主だった。斜陽館は、戦後人手に渡り旅館になっていた本宅を、町が買い上げ復旧公開したものである。太宰は青森中学校に入学下宿するまでこの家で育った。巨大な館である。全木造の和洋折衷がよく似合うハイカラな建物である。天井が高い。個室らしい部屋が8畳敷きだが、周囲に大広間があるからか、えらく狭く感じられた。2階は外周を廊下がぐるりと取り囲む。小さな公園と言った風情の日本庭園が付いている。しかし彼はこの館と親代わりでもあった兄を、何か近寄りがたい畏怖の念で眺めている。彼は「津軽」でそれが自分が女中っ子であったためだったと、旅の最後にその元女中「越野たけ」と再会したときに納得するのである。たけが太宰の子守として奉公したのは、彼女が14から18までだったようだが、もう35,6になった太宰を「たけは、お前に本を読む事だば教えたけれども、たばこだの酒だのは、教えねきゃのう」と諭す。
津軽三味線会館が向かいにあって、ちょっとばかし生の演奏も聴かせてくれた。文楽で用いるような太棹を、叩くようにバチで弾く。バチは鼈甲、革は犬、絃はテトロンと云った。資料室正面の、ゼコが雪中を門付けして歩いているレリーフは良かった。金木からやや走ったところにかわいらしい駅舎が見え、芦野公園駅と聞く。わざわざガイドが紹介するのは「津軽」に記載があるからだろう。冬には吹雪体験ツアーがあるとか、吉幾三グッズの店、彼の豪邸の話、千昌夫が公演に自家用機で来たとか、このガイドさんは雑談を色々取り混ぜて退屈を紛らわせてくれる。石川さゆりの名曲にちなんだ津軽海峡冬景色ツアーなんてあるんだそうな。地方振興も大変だ。
十三湖北岸になるともう民家も疎らになった。太宰の説明では日本海側の最北端の集落は小泊なんだそうで、十三湖から10kmばかり北上した位置である。とうとう最果ての地までたどり着いたと思った。十三(じゅうさん)湖湖畔には十三(とさ)湊と言う中世に栄えた港町があったが、津波で壊滅した過去がある。この知識は国立歴史民俗博物館(歴博)の企画展か何かで多分一昨々年に仕入れたものだ。今度のオプショナルツアーにこのコースを選んだ理由の一つだ。だが現地の歩ける範囲には何の遺跡もなく資料館もなかった。(注記:戻ってから歴博図書室で、企画展「幻の中世都市十三湊−海から見た北の中世−」図録を調べてみた。津浪で壊滅とは書いてなかった。私の勘違いである。それはブルーガイド・パック東北('87)に載っていた。別の史書には、津浪の話はあるが確たる証拠はないとあった。('01/08/18))
もう一つの理由は名物シジミ料理を味わうことだった。シジミは今がシーズンとか。十三湖には津軽平野の川という川が全部注ぎ込んでいる。一番深くて3mと言う浅い湖だ。日本海に向かって広くもない口を一つ開けている汽水湖で、塩加減も栄養加減も場所場所で様々だそうだ。だから美味しいシジミがとれる場所は限られている。これはレストラン和歌山当主の言葉である。この寂しい場所でただ一軒の食堂兼宿屋を経営する和歌山母子の祖先は紀伊国屋と言い、回船ではるばる紀伊からやって来たという。湊を物語る姓は他にもあると聞いた。
半島を横断して陸奥湾の畔を走る。ここら外ヶ浜は帆立貝の産地で、貝殻を一人用の鍋代わりに使う習慣があるという。トイレ休憩のとき立ち寄った店には、なるほどおみやげに置いてあった。昔はもっと大きな帆立貝だったという。「津軽」には肉を煮るのに用いたとある。汚しやすい料理用の使い捨て調理具として重宝したのだろうか。

('01/08/14)