「新しい歴史教科書」批判の批判


一昨夜(7/10)のNHKニュースでは、金韓国大統領に引き続き江沢民中国主席も日本の対応を拒否していると報じた。NHKの現地記者は危機感溢れる口調で日本の解決策模索を焦眉の急として叫んでいた。私は歴史哲学の問題ゆえ解決を急ぐ必要は何もない、場合によっては100年待つ決心だから彼の金切り声は耳障りであった。私は、マスコミにおいては論説員とか解説員とか相応の資格がある人以外は評論すべきではないと思っている。多少改善されたがマスコミは一方向性で、定期購買者やチャンネルを合わせているものには、いやでもその意見が目や耳に一方的に飛び込むからである。記者程度ではまだ読者全員に意見を述べるには尻が青いのではないか。どうしても意見が言いたいなら自分のホームページにでも意見を開陳すればよい。マスコミは公器である。
その日の毎日新聞朝刊は「新しい歴史教科書」特集に近かった。「記者の目」のソウル支局沢田氏記事の見出し「西洋劣等感ばかり目立つ」「もっと日本に自信持て」は、言うなればご自身のコンプレックスの裏返しの発言のようで、失礼ながらレベルの高くない内容と思えた。現代では世界史が西洋史中心に語られるようになっているから、相対的に日本史はどうであったかと書く。唯我独尊的表現より遙かに科学的である。引用の知日派韓国首相経験者の話も基本は韓国の防波堤になって欲しいという期待だと思う。この教科書は劣等感とか自信喪失とか云う功利的低次元から出発した本ではなく、冒頭の「歴史を学ぶとは」に書かれた「その時代の価値観に基づくその時代の幸福感が歴史を作った。歴史を現代の道徳で裁いても意味がない。」と言う歴史哲学で一貫した著述になっている。「自虐的」史観ではない。中国国民も韓国国民も気に入らないとすれば、その根本はそこにあるのだから、沢田氏はそこを指摘すべきであった。
社説のアジア歴史資料センターへの期待は当を得た議論である。私は初めに述べたとおりこの問題は100年かかると思っているので、関係各国の学者を集めて、それぞれの歴史哲学に基づく客観性のある歴史教科書を、出来れば万国共通で使えるほどのものを、幾通りにも作ればいいと思っている。現代の各国教科書も収集翻訳し学問的に客観性を検討すべきだ。書店に行くと明石書店から出た韓国国語、歴史国定教科書の日本関連部分翻訳書がたまたまあったので少し立ち読みした。部分翻訳だから全体は見えないが、日本の教科書など比較にならぬほどに民族主義的であると思った。日本がどのように書いてあるかは実際に手にとって見て貰いたい。検定制度を超法規的に無視してでも書き直せと言うのが中韓の要求で、そんな無法が成り立たないことは当然である。この検定制度は内容の信頼性を維持しながら基本的には自由に記述出来るように作られている。なかなかよくできた制度である。この制度を理解してもらおう、だが行く行くは検定を廃止しようという主張は正しい。
今週の本棚の三浦雅士氏の評論はいきなり右翼国粋主義と決めつけている。このように相手に先ずレッテルを貼らねば納まらぬ人は苦手である。私は私をイッチョ前の個人として認めてくれる最大限のコミュニティが日本であるから、日本だけはトコトン知っておきたい口である。日本は歴史に書いてある。だが、三浦氏は山崎和夫氏の云う「国家は初中等学校における歴史教育を廃止すべきだ」という議論に賛成らしい。文化を共有しているという意識が消えたら日本は無くなってしまう。こんな極端な議論をする人に、どうして大きなスペースを新聞が与えるのか不思議だ。日本語に拘るなら縦書きにせよともう八つ当たりである。我々理系人間には日本語は全てと言えるほど横書きであった。なぜ横書きかは論を待たない。バカげた議論である。
山内昌之氏の評論は私の問題意識に沿っている。時代毎に特有の価値観があることに賛同しながらも、今の基準で過去を裁くのは愚かだとばかりは言えないと云っている。恐怖からの離脱、貧困からの離脱は人間共通の願望で歴史を貫徹する価値観だからと言う。でもそんな但し書きで過去を線引きできるか。アジア400年植民地支配は時代の流れだが、熱い戦争最中の虐殺は裁く必要があるというような論理は成り立たないのではないか。その他パワー・ポリティックスに破れた中国韓国の分析についての異論が書かれている。私は、近代から近世にかけての日中韓の際立った相違にこそ、歴史に学ぶ最大の価値が潜んでいると信じている。大いに議論を深めて欲しい。
谷沢永一:「「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する」という本があるそうで、「新しい歴史教科書」が出たばかりなのにもうこんな本が出るのかと驚く。後者の「市販本まえがき」に、検定中の、まだ日本国民が内容を知らない段階なのに、マスコミを通じて中韓を巻き込む批判キャンペーンが張られた不自然性を取り上げていた。谷沢氏も明らかに国民不在の中でどこからかいち早く取り付いた1人のようだ。私はこんな時流に乗ろうとする本など読む気にはなれない。対抗したいのなら谷沢著の歴史教科書で日本国民に信を問えばよい。批判は易しいが、本を仕上げるのは大変な苦労だ。向井敏氏の本書に対する評論は、谷沢氏だけではなくその他の歴史学者達の教科書に対する見解をも総括的に記載していて参考になった。その中に谷沢氏の言葉の引用がある。「(今までの歴史教科書の思想は)わが国は他国に比べて、つねに意識も文化レベルも低い国、劣った国であり、独自な文化は一度として形成することがなかった。・・・・(と言うことだった。)」これには全く驚いた。世の中の親は我が子の歴史教科書を読み通して然るべき発言を学校に教育委員会に上げるべきである。谷沢氏の結語として「歴史教育廃止」が唱えられているという。是は前にも云ったとおり私と正面からぶつかる意見である。
この教科書を買った書店に立ち寄った。相変わらずベストセラーだという。姉妹本の「新しい公民教科書」もベストエイトだという。新聞では歴史が50万部を突破し、公民が15万部を発行したとあった。本の種類から云って驚異的な出来事である。批判が高まったので興味が出た人もあろうが、それだけではベストセラーにならない。何か日本国民に必要で今までの教育では満たされなかった「あるもの」がこの本にあるのだ。

('01/07/12)