難解な中華人民共和国


胡耀邦元総書記が共産党党史の中で復権したと読売新聞に北京15日発の記事として報じられた。失脚後14年が経っている。胡耀邦の失脚はブルジョア(的)自由化の責任をとらされたものだから、今回の名誉回復は中国が胡耀邦の自由化の水準に達したことを示す。その意味では反動が過ぎて失脚した趙紫陽の復権は当面あり得ないのだろう。環境と都合に合わせて権威ある党史の書き換えを行うぐらいなら、初めからそれこそ中国1956年提唱の百家争鳴に任せて、人民の納得づくで幅広い理解範囲を作っておけばいいのにと思う。歴史認識が180度覆るのは共産圏では希なことではない。だが、唯一無二の党解釈に従わねばならぬ、その解釈がなぜか突然変わるというような社会はぼっきり折れる可能性がある。ソ連がそうだった。
日本の中学校社会科教科書に中国及び韓国から数々のクレームが来ている。集中砲火を浴びているのは「新しい歴史教科書をつくる会」主導編集扶桑社出版の歴史教科書である。文部科学大臣の国会答弁にあったように、明確な事実誤認がさらに発見され無い以上、国家の一定基準をパスした本の出版を、外圧があったからと言って、官憲が流通停止にすることなど自由民主社会でやれるはずがない。18日の読売新聞朝刊に中国政府の主張と扶桑社教科書の記述の比較及び中国国定教科書での記述が示された。扶桑社教科書に事実誤認があるとは思えない。何を取り上げるかで違っているだけだ。
どの事実を重視して何を主張するかは著者次第であることを認めるのがこの国家の基本である。日本では8社が検定を合格した。それぞれがそれぞれの視点で書いている。どれを採用するかは現場のオプションだ。中国のように1種類の国定教科書従って1種類の国定の思惟しかないのではない。それに先生は教科書通りの教育を強制されているわけではない。生徒側も先生の話すとおりに受け止める必要は毛頭ない。どうしようもないほどの百家争鳴の中で自分の思想を形成して行く。扶桑社ものなどその広い範囲の中のただの1ヶ所に過ぎない。これが健全な社会のありようだと思っている。我々には今一つ中国の主張がよく理解できない。中国が扶桑社ものに反対なら対抗してその国定教科書の翻訳版を日本に検定に出し出版すればよい。
中国の国定教科書の対応部分要約を読んで驚くのは日本侵略者の残虐、放火、姦淫、略奪と言った言葉が散見される点である。これらは残念ながら占領地や植民地では必ず起こる犯罪行為で日本侵略者に限ったことではない。最近では旧ユーゴ内戦やチモール紛争で報じられたとおりである。中国国内では戦乱の度に繰り返されてきたというのが事実であろう。日本も占領されたとき既に戦争は終わっていたのに連合軍に各地でやられた。沖縄は現代でもその余震が続いている。だが中国とは違ってそれを中学生の教育現場にナマで持ち込んだりはしていない。中国人が日本で起こす問題の1つに犯罪の、それも凶悪犯罪の異常な多さがある。中国人が少年時代にたたき込まれる日本侵略者の悪鬼ぶりが絶ちがたい感情上の憎悪感となり、それが日本における犯罪にある種の都合のいい免罪符を与えているのではないかと危惧する。世紀を越える植民地化について欧米諸国が謝罪などしたためしがない。征服被征服についても功もあれば罪もあるとするのが普通である。日本は功を主張せず罪を詫びてきた。それなのに内閣が替わる毎に踏み絵を踏ませるようにお詫びさせようとする。もう十分ではないか。戦没者慰霊への過敏性についても嫌気がさしている。これ以上は日本人に嫌悪感をもたらすだけだ。
この間のNHKスペシアルは中国で横行する違法コピー、贋物製造を特集していた。技術力が付いた中国が通商白書(毎日新聞5/18付け朝刊)によれば日本の1/30の安い労働力でコピー商品を作る。酷い例が示されていた。ヤマハのオートバイである。ヤマハと寸分違わぬオートバイを日本YAMAHA株式会社の名で堂々と製造している。日本YAMAHAとは我々の知っているヤマハではなく全くのペーパーカンパニーで、日本に登記されたヤマハと発音できる漢字のペーパーカンパニーと中国メーカーの合弁になっている。中国の官憲は証明責任は被害者にあると言い抜けて動かない。何とカナダの探偵社に追跡して貰ってやっと捕捉したが、一向に罪になる様子も無いという。キャスターは売り抜ければいいと云う考えで産業資本化していないからでしょうと言った。従来から官憲との癒着が問題にされているが、この日本YAMAHAもその可能性が高いと思う。江沢民主席は違法コピー取り締まり強化を打ち出しているとは聞く。ゼスチャーだけでは終わらぬ事を期待したい。知的所有権、工業所有権が確立していないと次第に汚い国と思われるようになる。人権の次ぎに必ずやってくる。
教科書とか靖国神社参拝を問題にすることで、日本がコピー商品で今被っている甚大な損害や中国人犯罪問題の矛先を逸らせる結果になってはならない。

('01/05/20)