縄文文化の扉を開く


「三内丸山遺跡から縄文列島へ」と言う副題の付いた掲題の企画展を歴博で見た。何処の博物館でもスタートはたいてい縄文時代からだが、展示遺物と言えば復元土器あるいは出土した状態の土器破片が並ぶばかりだし、集落家屋の模型も似たような簡単な姿で、縄文時代とはご先祖様がバーバリアンであらせられたころというだけで特別に興味深い時代ではなかった。しかしこの遺跡は時代認識を一変させるだけの内容を持っていた。それで、第208回歴博講演会(岡田康博氏「三内丸山遺跡の発掘から」)にも出席した。
この遺跡は、青森IC出口辺りの丘陵地帯にある。縄文時代前期では海面が高く海岸線は今よりずっと内陸側に侵入していた。しかし最盛期の中期には後退して現代とほぼ同じだったという。三内丸山を中心に海岸線に沿うように幾多の集落遺跡が見られる。中心と考えられる理由の1つは、家屋数が多い事である。次ぎに集会所的な大型建造物がある。貯蔵倉庫的建造物も複数あって、柱間隔が規格化されている。1500年にわたって定住されている。ここだけに馬鹿でかい6本柱の高楼?があり、この集落から地方集落に向かう大道が走っているのも中心と判断できる理由である。高楼は望楼なのか祭祀台なのか判らない。吉野ヶ里遺跡でも高楼は見かけた。だがそこは弥生時代の環濠集落で、高楼はどうやら物見櫓であり「卑弥呼の国」対応の原始国家の姿を備えていたと言う。こちらには城壁はもちろん防柵とか濠もないから、近隣とは「われわれ」意識で繋がっていたのだろう。「敵」がいても津軽海峡、お岩木山や八甲田山の山々に囲まれて安全だったのであろう。墓に大小はあるが、大王墓と言えるほどの大型墳墓は存在しないから、強力な統治者は存在せず、この辺り一帯は弱い連帯意識で平和に暮らす青森共生国であったのだろう。
エゾニワトコの実から酒を醸造していた。証拠は絞り粕とショウジョウバエの蛹だそうだ。ショウジョウバエは英名をwine flyと言うぐらい発酵果実が好きである。腐った果実や漬け物にも群がるから、必ずしもアルコール発酵の強力な証拠ではないと思う。絞り粕だってジュース作りのためかも知れない。しかしエゾニワトコの実は、私は知らないが、岡田氏は食えるような品物ではないと言うから、両方合わせたらやっぱり酒を醸していたと言えるのかも知れない。展示室にはニワトコの実を使った"リキュール"が参考出品されていた。ヨーロッパの商品である。リキュールとは、梅酒のように、味付け香り付けに色んな薬味を使ったアルコール飲料のことで、薬味自体を発酵させたものではない。梅酒は浸漬法だが、ほかの蒸留法、エッセンス法だって薬味は発酵とは無関係な利用である。ニワトコ発酵の傍証にはならない。だが、世界大百科事典にはヨーロッパではセイヨウニワトコの実からワインを作っていると書いてあった。この説明だったら発酵である。ワインでは猿酒で、アミラーゼが必要なかろう。だから日本酒のルーツにはならないと、そこまで考えてガッカリした。日本の歴史に酒が登場するのは3世紀の魏志倭人伝からだそうだ。それよりも遙か3千年から昔の遺跡にお酒の証拠があるとは思いもしなかった情報である。
絞り粕の量は植物性食物出土品の中での割合は0.3%と極少量である。つまり酒は貴重品で、多分祭祀用だったのだろう。他では出土していないのなら青森共生国はこの土地で国家の祈りと祭りを催したのであろう。人形の土偶が出てくる。1千の単位で出てくる。意識的に首が折ってある。これも祭祀の中心地である証拠だ。それに冒頭の高楼その他である。三内丸山発掘のきっかけは青森県の野球場建設に伴う事前調査だったそうだが、縄文人の社会体制まで伺える発見に繋がったとは、怪我の功名とはいえ、青森県のお手柄である。公園風に作り替えて保存公開するそうだ。こういう公共投資なら賛成である。ついでながら中世に栄え津波で全滅した同県十三湊(トサミナト)も保存されているのだろうか。
千葉県立中央博物館の企画展「縄文人の食生活」を見たあとなので、どうしても千葉の遺跡と青森の遺跡を食い物について比較してしまう。同位体食性分析法ではどちらも海岸に近いのにもかかわらず共に植物が主たる栄養源である。千葉ではオニグルミ、ドングリ、クリ、トチノミ、ムクロジが炭化して出土したという。ムクロジの黒い種は羽根つきの玉であった。食えば食えるのだ。植生を管理ないし栽培した証拠はないようだ。青森ではクリが圧倒的に多く花粉解析やDNA解析では栽培されていたという。他にヒョウタン、マメ、ゴボウなどの栽培をしていた。注目点はヒエもその中に入っていることだ。ヒエはれっきとしたイネ科禾穀類穀物で稲もその仲間である。クリは建材、杭から薪まで徹底利用されたそうだ。千年を越す永住集落であるためには、主食を自然にだけ頼っているのでは不可能である。動物食ではどちらも魚が殆どである。ただ種類は地方の特性で、千葉はイワシ、ハゼ、サヨリ、カレイなどで、青森はサメ、ブリ、マダイ・クロダイ、サバ、ヒラメ、カレイ、フグなど豊富である。トップの千葉のイワシ、青森のサメは両地方とも内湾の浅海沿岸漁労だからちょっと意外である。陸上動物では千葉はイノシシとシカなのに対し、青森はノウサギとムササビが多かった。
青森では主食のクリ栽培により定住大型集落を可能にし、そこから縄文文化を立ち上げることが出来た。どれほどの比率であったかは判らないが、穀類ヒエの栽培は農耕の走りであったろうし、より安定な食料供給源の道を見出そうとしていた。どういう理由でこの文化が終末を迎え、やがて別個に弥生文化が始まるのか判らないが、この土地の縄文人は稲作文化を受け入れる素地は十分備えていたと思われる。民族的には別系統らしい縄文人と弥生人の関係が、近世の先住民対文明人の悲惨な関係ではないらしいのは、そんなところにあったのではないかと思った。

('01/04/17)