
- これはさる4/8まで開かれていた千葉県立中央博物館の企画展のテーマ名である。生きる上で食ほど大切なものはない。食は文明の基礎中の基礎である。だが有史以前をどうして調べるか。もう20年以上の昔、NHK取材班が楼蘭の旧地を訪ねたことがあった。シルクロードという題で放映されたが、その中で幼い王女の棺に穀類の副葬品が入っていたと報じられた。乾燥地帯なら食料も残る。だが高温多湿の日本ではたちまちに微生物が分解除去してしまう。骨だって雨が酸性炭酸カルシウムの形で溶かし込んで行く。鍾乳洞の原理である。だが、貝塚のようにカルシュウム分の多い人工地層があると、その中心部の骨は残るのだそうだ。おかげで彼らの動物食は見当が付く。
- 植物食は僥倖がないと判らない。この場合の僥倖は炭化した食料である。チャンスは少ないし、ばらつきも大きいだろう。だがどんな植物相の中で暮らしていたかは、花粉化石や植物遺体で読める。企画展は千葉の遺跡が中心なのであるが、そこでは、丁度縄文の時代に植物相は氷河期が後退するにつれまず落葉樹が進出し、やがて照葉樹中心の森林に置き換わったと説明されている。クルミ、ドングリ、クリなどは今でもお馴染みの木の実である。トチノミ(トチノキの種子だろう。こんな特別の名を持っているのかな。)は今の千葉では千葉みなと駅前の街路樹とくらしの植物苑で見ただけだ。現代の千葉には分布しないと書いてある。ムクロジとはレイシ、リュウガンの類で私は見た憶えがない。
- 近年の考古学手法上の進歩の1つに同位体食性分析法がある。複雑な蛋白質合成生化学反応経路の中で、同位体の反応速度差が測定できるほどに積み重なる。色んな動植物について炭素と窒素の同位体分析をすると、動植物のグループ分けが出来る。遺骨のコラーゲンを抽出し同じ同位体分析にかけると、遺骨を残した人の食い物の差がはっきりと出る。北海道の縄文人は海獣食型で、千葉の縄文人はやや鹹水魚よりのナッツ食型だそうだ。分析法上は米麦類もナッツと同じグループだが、千葉の遺跡に栽培の跡はない。コウリャン、アワ、ヒエ、キビなど飢饉用として名高い雑穀は別グループである。それらも常食にはなっていなかった。縄文人が歯を酷使していたことは常識として知っていた。ドングリ常食派でない北海道縄文人は別だそうだ。同じく虫歯の多い本州縄文人に比べて北海道人は軽度であったという。
- 彼らの料理法の中にはシチューや雑炊があったと云う。土器の使用痕跡からの推定である。素焼き土器だから水分は絶えず浸み出す。だから煮詰まりやすかっただろう。ドングリやトチノミのアク抜きにも土器を使ったろう。石皿とか磨石とかは皮をむき砕く目的だったろう。三内丸山遺跡では酒醸造の証拠が挙がっているから、塩以外の調味料もあったかも知れないが、全然触れられていなかった。遺伝的には現代人の血の1/3ぐらいは縄文人に由来すると聞いたことがあった。縄文人の身長は明治時代の日本人とさして変わらないそうでもある。すると縄文人の栄養状態は明治時代並か。とにかく、食に関する限りは現代に生まれて良かった。飽食の時代があと何年続くかは別として。
('01/04/17)