保険料の公平不公平

- 自動車任意保険が切れる時期が迫った。あちこちから見積もりをインターネットで徴集してみる。結構会社によって差がある。ついこの間まで画一的であったのが嘘のようだ。外資がドライバーの危険度により保険料を差別するシステムを持ち込んだとき、日本の会社は全体で車社会を支える福祉の視点が失われると反対であった。直接は見知らぬ人々でも互いに「われわれ」意識で結ばれてているという感覚がある間は、福祉論は大いに結構である。しかし、日本語で交わす言葉のやりとりにまでニアンス的に相通じ合わぬずれが、近い関係の老若男女の間にさえ微妙に認識されつつある今日、福祉論は大幅に修正されねばならぬ事は事実である。安全運転型のドライバーが格安の保険料で済ませるシステムの方がずっと今の日本社会に適合していると思われる。
- このホームページの何処かで一度指摘したように思うが、同じ問題が介護保険にも存在する。読売新聞'01/4/4にドイツ事情が報道された。それによると、ドイツの連邦憲法裁判所は、子供の有無に関係なく一律の保険料を徴収している現行規定を基本法(憲法)違反とする判決を下したという。「将来の介護を担う若い世代を育てている親たちが、子供がなく介護保険に全面依存する人と同水準の保険料負担を強いられるのは不公平だ」という訴えを認めたのである。介護保険に関する上記主張は今まで日本では一度もマスコミに顔を出さなかった。私は生物が生きる使命は子孫を残すことと信じているから、あらゆる施策をその目的に添って実施すべきだと思っている。子供を産み育てるのは当然の常識ではなくなった今日では、子供のあるなしで線引きする必要がある。子供のない人は介護保険に関しては「われわれ」ではない。
- 健康保険にもいつかは差別化した保険が検討され実施されることになるだろう。自動車保険のように強制と任意とに分け、強制保険では短期緊急的治療を、長期療養型治療は任意保険となるだろう。あるいは高額治療を任意保険に位置付けることになるかも知れない。中途半途ながら介護保険を分離したのはその走りとして評価できる。民間のガン保険はもうスタートして何年にもなる。今は年齢だけで決まるが、その内に遺伝子検査の結果も保険料に影響を及ぼすこととなる。まず、ガンを強制保険から外すべきである。破綻と言われて久しい現行健康保険制度を建て直すためにも必要である。そもそも現行のように生まれてから死ぬまで、あらゆる病気を直る見込みもないときにもトコトン強制保険で面倒を見るなどという思想が可笑しいのではないか。意味のない延命治療で、患者に無関係に治療費が稼がれているような事態は、強制保険で全部を見るために起こる弊害である。先々が見える病気でなお命が惜しいなら自分の働きに応じて自分を救えば十分である。一方で、専業主婦に健康保険料の負担をせまる主張がある。少子化が加速する現状では、社会維持民族維持への貢献は最大限優遇されねばならない。介護保険のときと同じ論理である。専業であろうと共働きであろうと無関係に子供のあるなしで負担に差を作るべきであろう。
- 小中学校理数科課程3割削減が実施されようとしている。教育は将来投資の間接保険であるので、上記直接保険と類似の性格を持っている。実社会の要求する理数系学問はますます広く深くなるから、この削減は理解力の及ぶ層をより薄くし、日本の研究開発力を相対的に衰えさせる。何を勘違いしているのであろう。私は憤慨している。だがこれは上述の保険料に似て、強制に相当する公立義務教育学校では社会からの落ちこぼれを防ぐ最低限の教育に徹し、それ以上は随意の、レベルに応じた私立学校で行う教育水準多様化方向を意味しているのであろう。今までは学習塾あたりで我慢してきた親も、土台が揺らぐのであるから、いよいよ考え直さねばならなくなる。
- 公立高校が、校区制採用により悪貨が良貨を駆逐する喩えの通りに、結局は旧制中学の良き伝統を台無しにしてしまった点が多いのと同様に、公立小中学校でも従来の校区制にゆとりと3割削減が加わって、将来を担うべき「出来の良い」子が私学に逃げ出す風潮がいよいよ加速するであろう。公立の学校では、悪平等から開放されて、かっての新制実施時代のように、学科毎の能力別学級制へ移行しようとするであろう。所詮は自由競争時代なのだから、若年の内から自己の才能を自問自答する仕組みを作る方向は歓迎すべきである。
('01/04/10)