恐竜時代のたそがれ


ひょっこり梅棹忠夫先生の日本語ローマ字表記論を見た(通販生活, No. 203, 174 (2001))。私は歴史は大切にと思っている。今までどおり日本語は仮名混じり文でよい。今更ローマ字化されたら国家全体が大混乱に陥る。だが、先年末、映画題名への苦言(バトル・ロワイアル)に述べたとおり、欧米語を片仮名書きで読ませるのは愚の骨頂だと思っている。適切な訳語がどうしても見当たらないのなら、原語のままローマ字で書けばよい。その方がずっと分かり易く、梅棹先生がおっしゃる国際化にも合っている。
バトル・ロワイアルで、意味不詳と匙を投げた題名ダイナソーがdinosaurで恐竜のことであることを、映画館に入って始めて知った。日本では恐竜は小学校の生徒でも知っている普通名詞である。ダイナソーとポピュラーでもない英語で書く必要は何処にあるのだろう。どの日本語系辞典を見ても、マイクロソフト・エンカルタ98でも、ダイナソーなんか載っていない。ローマ字だったらまだ恐竜に辿り着くことが出来た。ダイナソーにした理由をディズニー社の責任者に聞いてみたいものだ。「恐竜時代のたそがれ」ぐらいで良いのではないかというのが私の意見である。
映画は恐竜絶滅の白亜紀末期に舞台を置いている。1億数千万年の間、繁栄を謳歌した恐竜は次の第三紀との境目で忽然と死に絶える。あまりにドラスティックなので原因は色々取り沙汰されているが、いずれも推測の域を超えない。その中で最も絵に成りやすい説明は大量隕石落下説で、映画がそれを採用しているのは当然だろう。戦中の焼夷弾攻撃を思わせる隕石落下と全てが燃え上がる焦土の中を、緑と水の残る楽園を求めて、恐竜たちが苦難の旅をする物語である。どこかの森でロケーションをしたのではないかと疑いたくなるほどリアルに感じる見事な動画である。古生物学の幻想を見せるアニメと思ったらよい。だから大人は物語は付け足しと思ってみた方がよい。宮崎駿監督のような、物語あるいは思想の面白さを売る漫画出身のアニメとは方向が違うようだ。
主役のイグアノドンはいいとして脇役には問題がある。白亜紀末期には確かに哺乳類が生息していた。しかしそれがメガネザルとは一寸解し難い。メガネザルはネズミほどの大きさで、目が固定しているため首が180度回転できるように骨格が出来ているいわゆる原猿類の仲間で、映画では忠実にそのように描いてある。霊長類の「生きた化石」と云われている。だが遡れるのは5000万年前の始新世までだそうだ(マイクロソフト・エンカルタ98)。白亜紀は6500万年前までである。6500万年前頃とは、8000年前ごろに分化した有胎盤類最初のモグラ目が、次第にカンガルー型の有袋類を駆逐し分化する時期である。だから鼻をクンクンさせるモグラ面のサルを描くべきであった。さらにもう1匹の脇役を上げる。ブラキオサウルスなる巨大草食恐竜である。彼らの全盛期はジュラ紀後期で白亜紀前期までの恐竜とされている。他を圧する巨体だから映像のアクセントにするには絶好の動物だろうが、一寸時代考証上無理がある。大人にも真に迫って見える動画だから、考証に無理があってはならない。
サルに育てられたイグアノドンが、草食恐竜の避難団と協力して、肉食恐竜から逃れつつ、場合によっては戦いつつ、目的の楽園に到着するお話は、まあ子供向けのアニメだから夢物語としてよかろう。題名が不審でやってきた観客は多分私ぐらいで、館内は幼稚園クラスの幼児を連れた母親ばっかりだった。博物館の特別展企画展でまず外れのない出し物は恐竜関連だそうだ。この映画もその意味では狙いはいい。だが、日本語の扱い、科学性などを大切にする人には勧める気にはなれない商業作品である。

('01/01/12)