
- 前の沖縄ツアーでは、那覇市内を見損なった。だからその日一日を市内見物で過ごそうと決めていた。県立博物館に行く。近頃は情報手段を使って予め知識を仕入れるより、まず博物館から見物する方が楽で効率的なことが判ってきた。
- 民俗展示室の信仰・儀礼の並びは特に興味深かった。葬式は仏教に基づいて執り行われる。ノロやツカサの神女が守る御嶽の神は葬儀には関わらぬらしい。本州には神式の葬式があるがと問うたが、ここには無いそうだ。バス車中からあちこちで見た破風墓と呼ぶらしい独特の形式の墓は、伝えられる過去の貧しさを考えると、どれも不相応に立派に見える。祖先崇拝の強い土地柄なのであろう。継承者の長男が墓を守る。この祭祀権は今でも厳たるものらしく、次男以下は自分の墓を新たに作ると監視のおばさんが話した。輿に担がれた遺体はそのまま墓に入れられ、1ー2年で骨だけとなったら洗骨して瓶に納める。風葬である。祀る人が増えるに従って瓶の位置はだんだん奥に移され、50年ほどで最後段となる。そこでは祖先の遺骨と一緒に合葬される。瓶も砕かれてその穴に埋められる。一際背丈の低い老人の一団が熱心に展示について話し合っている。説明文に出ている名詞だけは聞き取れるが、あとは皆目分からない。問いかけると橋を渡ってきたと云った。与勝諸島の島人らしい。我々には綺麗な標準語で答えてくれる。沖縄には二重言語地帯が残っているのだと判った。この旅行で方言らしい方言を聞いたのはここだけであった。博物館の庭に二次大戦で全壊した円覚寺の唯一の遺品の梵鐘が、鐘楼を再建されて保存されていた。ネムノキに似たホウタイボクを見る。街路樹としてあちこちで見ることとなる。この博物館は皇太子宮殿あとに作られた。昔と同じなのは低い石垣のごく一部だけであるらしい。
- 国際通り公設市場を眺めて歩く。私が住む千葉では、スーパーやコンビニあるいは百貨店に押され、最近とうとう小売市場が閉店広告を出した。だがここは活気が漲っている。生活の匂いのある場所を歩くのはいいものだ。豚の顔、皮などちょっと我々の近所ではお目にかかれない商品もある。野菜果物にも特徴がある。本州人にもお馴染みになったゴーヤはキュウリと同じ量だけ並んでいる。島バナナ、パッションフルーツ、スターフルーツ、森のアイスクリーム(正式名は忘れた)、沖縄のポンカンを買った。正確にはスターフルーツと沖縄のポンカンはおまけで貰った。島バナナもパッションフルーツもうまい。パッションフルーツにはちょっと癖がある。その店のおばさんと柿論争をやる。沖縄産の柿は小さくて商品にならないそうだ。戻ってから調べてみた。かきのき科カキノキ属カキノキは暖帯の植物で、正真正銘の日本の果物だという(辻井達一:「日本の樹木」7版、中公新書、1999)。琉球は亜熱帯。だからこの日本は狭義の日本である。生物相には渡瀬線が沖縄と屋久島を区切っている。太古の昔東シナ海が内海状態であったとき、太平洋に空いていた口がこの渡瀬線附近だったという。だからその南北では相が連続しない。これは博物館で仕入れた知識。博物館では毒蛇の分布の説明に使っていたように記憶するが、植物にもその線に沿って歴然とした境界があるそうだ(「岩波生物学辞典」改訂4版)。おばさんはリュウキュウマメガキを云ったのかもしおれない(北村四郎、村田源:「原色日本植物図鑑 木本編」、保育社、1972)。
- 歩いて福州園に行く。ここは中国風の庭園で箱庭の美しさがある。中国福州市との友好都市締結10周年記念で那覇市が作ったものという。惜しむらくは周囲にニョキニョキ建ったコンクリート造りのビルが雰囲気を壊していることだ。都会の中の建造物・庭園には常に付きまとう問題であるが、ここは庭が小さいだけに周囲の不格好が目立つ。新しい庭なのだから造成場所の選定にもっと気を使うべきであった。春花の季節が一番いいと館員が云った。中国からの見知らぬ樹木がいろいろ植わっていた。その中の一つ、キハナキョウチクトウは黄色の花を付けるキョウチクトウである。識名園を見るように勧められたが、時間に制限のある身の悲しさで後日の楽しみとした。
- オリエンタル・ビーナスという豪華客船が同じ岸壁に繋がれている。高校の修学旅行に貸し切られていると聞く。私は修学旅行というものを味わったことがない。小学校は敗戦の翌年で旅行どころでなかった。中学校は学制改革の混乱の最中だった。高校はわが家の経済事情から参加出来なかった。今の若い世代は恵まれている。2万トンとちょっと我々の船よりは小振りである。こちらの出航に汽笛を鳴らして挨拶する。しばらく忘れていた風景である。那覇新港にはほかにも汽船、フェリー、貨物船などたくさんの船が係留または移動中で活気を感じた。
(2000/12/11)