
- 今月半ば江沢民主席がカンボジアを訪問し、続いてクリントン大統領がベトナムを訪問した。お互い相手の影響の強い国で牽制球を投げるのが目的である。しかし元首の訪問ともなれば、過去の総括は避けては通れまい。カンボジアではポル・ポト派の大量虐殺、ベトナムではベトナム戦争の負の歴史をどう精算するかである。
- ポル・ポト派による虐殺は100万人とも200万人とも聞いた。当時のカンボジアの人口は800万人ほどだから民族に与えた打撃の大きさが判る。知識階級とか都市住民が標的であった。カンボジアの近代化を背負うべき人的資源が根こそぎ殺されたのだから堪ったものではない。その民主カンボジア政権を思想面も含めて徹頭徹尾支援したのが中国であれば、江沢民主席が常々口にする「正しい歴史認識」的視点から云ったら、中国の謝罪は当然と思われる。日本の責任を問うて止まない第二次世界大戦は半世紀以上昔の話だが、大量殺人は20年ほど昔に過ぎないのである。
- 江主席は謝罪しなかった。中国外務省は「当時、国際社会はポル・ポト政権を認知していた。中国はカンボジアの主権を支持した。」と述べたと伝えられる。国際社会の認知という意味では正しい。カンボジアの国連代表権は彼らが所持していたし、国連は日本も含めて対抗するヘンサムリン政権に代表権を譲らそうとはしなかった。これはベトナムを入れたソ連共産圏への牽制のためで、この認知が虐殺の黙認に繋がっているのではない。民主カンボジアは国際非難を受けて穏健派のキュー・サムファンに首相の座を渡している。ポル・ポト首相時代に影響力を行使できたのは中国だけであったことを思い返せば、まさか積極的に指導したのではないかも知れないが、責任を問われて当然の位置にあったのは事実である。江さん、両刀遣いでは信頼を無くしますよ。
- 江主席はあらゆる意味を込めてだろうと思うが、1億元の援助を申し出た。日本の中国への援助の1%ほどを贈るという。私らはなんだか納得できない話である。他国に援助できるぐらいの国に日本が援助する必要はないのではないかと。自民党議員からも絶えず感謝されない援助は必要ないという議論が出ている。毎日新聞が、日本のNGOが中国に100棟の小学校を寄贈し住民にたいそう感謝されていると反論めかして書いていた。私もこの手の援助なら問題にしない。我が国民の嫌悪する政治を助けるだけで、少しも人民の感謝のない援助などは不要と言っている。この議論は私は中国が核実験を強行したときに書いた。もはや中国は中進国以上である。政府間援助を中止しようではないか。
- ベトナム大統領はアメリカの戦争責任に言及した。圧倒的な近代兵器で300万人以上のベトナム人を殺し、枯葉作戦のダイオキシン汚染で世紀を越しても解決しない遺伝子損傷を残したと言う事実が重くのし掛かっている。参戦は冷戦下のドミノ倒しの恐怖から決断されたと公式には云われている。しかしアメリカも韓国もベトナムに生存を直接的に脅かされている状況ではなかった。冷戦構造を民族の内戦に当てはめた他国が強引に戦争のプロを送り込んで市民まで無差別に殺すという構図になった。江主席流なら当然謝罪と賠償があってしかるべしである。クリントン大統領の姿勢は「人々は自分の信じるものに基づいて戦い、命を失った。・・・戦争が終わってから、あの戦争は避けられたと考えるのは間違いだ。」ということで、戦争の「善悪」や「責任者」を問うより、戦争を歴史的事実として未来に進もうという立場だと毎日(11/18朝刊3面)は報じた。理由を国際環境よりも個人に置いたのは流石と思った。
- 歴史問題に責任を問うのは基本的には確かに愚かなことと思う。最近では香港、廈門に例があるように、植民地を開放あるいは返却したときに宗主国は一貫して謝罪しなかった。我々は北朝鮮に対して同様の立場をとるべきである。謝罪の次ぎに賠償と称して、朝鮮戦争のツケから失政で後進国段階から抜けられない分まで、それこそ一片の感謝も受けずに、戦争も植民地時代も知らない世代から大量の税金を北朝鮮に貢ぐような愚かな行為は避けて貰いたい。
(2000/11/21)