
- 石井威望:「iバイオテクノロジーからの発想−進化する技術文明−」、PHP新書、2000を読んだ。iはIT(情報技術)のIだそうだ。だが、iバイオはまだマスコミ等で流行る気配はない。この先生の新造語なのかな。確かにコンピュータの生物工学への応用はめざましい。DNA解析にはすでに主役の1人であるし、その応用の段階になればスーパーコンピュータ無しには考えられぬと先生は云う。だが、先に「分析機器展」で書いたように、解析用のお道具に占めるコンピュータの役割は年々増していまやそれ無しには分析機器は考えられぬ段階になっている。なにもバイオだけではないのだから、ことさらiなんて付ける必要はないのではないか。
- お江戸の頃から日本はマニュファクチャの時代に入った。文明開化で人の労働は分業単純化の一途を辿った。人々は社会の歯車であることに疑いを持たずむしろ誇りに思った。この工業化社会の潮流が変わった。パソコン社会、インターネット社会の到来である。人はパソコンの助けで大量生産によるコストダウンの呪縛から抜け出し、個性を取り戻すきっかけを得た。ピラミッド構造の頂上から下層へ発せられる意志決定の流れは、ネットワークの相互情報交換による自己組織化が作り出す流れに取って代わる。
- 最近全世界の注目事象はケータイのインターネット参加である。パソコン時代のインターネットはまだ事務所や家を繋ぐインターネットであった。それが現場を繋ぐインターネットに進化した。時代を区切る意味で大切なのは、それがみんなが使うデファクト・スタンダードとなることだ。ビデオがソニー型からVHSになり、日本語ワープロが一太郎からワードになり、ブラウザがnetscapeからinternet explorerに変わった。技術的優劣はさほど無いのに事実上の標準になることによって勝者となる。その臨界点が800万台だと著者は云う。iモードのケータイはすでに1200万。日本はケータイ・インターネットの標準化の成功によりまたまた電子立国を謳われることとなろう。
- 気に入った部分を私なりに要約すると以上の2パラグラフのようになる。だがこの本はデータが殆ど無い観念論の多い著作で、私にはあまり説得力がない。まず、著者の冒頭の「複雑系」について。科学が単純化純粋化思考から複雑系思考をも取り入れるようになったのは、もう半世紀から昔の話である。数学化はフラクタル幾何学のMandelbrotまで下りるとしても1/4世紀以前である。経済学でも、近経と称する一派がマル経の単純原理思想に対向して、所属グループの名前を被せた複雑系モデルをあちこちで発表したのは40年から昔の話である。スーパーコンピュータは先覚の論理に数字の花を咲かせ、方向修正にも役立った。だが、思想はとっくの昔に展開していたのである。今更パラダイムシフトに入れて欲しくない。
- この著書の主張の一つであるマルチタスク型人間の姿がもう一つ鮮明でない。人間ただ一つの仕事に集中するよりマルチタスクの方が自然であるという。趣味ならたいそう歓迎され賞賛される方向だが、さて幾ばくかの労働対価を求める仕事には、よほどの才人でない限りマルチなど夢のまた夢ではないのか。少なくとも専門の高度化が常に進行する理系についてはそのように思える。NHKにプロジクトXと言う番組がある。そこに出てくる技術者は組織内の無理解と反対を頑なに排除して、営々と何十年をその専門に費やした「バカな」人たちばかりである。オリジナリティを生む原動力は頑な集中とがんばりではないのか。今の大学の教育をシングルタスク的と非難しておられるが、ろくすっぽシングルタスクもこなせぬ「ひよこ」に目移りばかり奨励しては将来が危うい。
- 日本人の重層意識構造という主張がある。伝統精神を下層にしまい込んでいていざというときの復帰原点にするという。バイオ研究には縄文文化が頭を擡げる。神も仏も共存共栄している。外国人に質問されて一番答えにくい問題であると。無意識の意識があることは理解しているつもりだけれども、共通した日本人の特質のように書き上げて良いものだろうか。心理学者河合隼雄先生の著書に「無意識の構造」という新書版の本がある。私の記憶する限りでは河合先生もそこまでは云っておられない。
(2000/09/13)