
- オーストラリア南端にタスマニア島がある。最後の老婆が1876年に死んで先住民は絶滅した。前世紀初頭にイギリス人が入植を初めてから70年余りであった。白人による虐殺と持ち込まれた病気の結果という。大陸の原住民アポリジニは根絶やしにはならなかったが、人口は激減し僻地に窒息している。日本からの移民は西海岸での真珠貝採取の成功から始まったが、白豪主義による排斥に会い撤退を余儀なくさせられた。オーストラリア人、正確には白人系移民子孫旧世代に対する抜きがたい不信感は、今も我々の心の底に澱んでいる。
- シドニーで今世紀最後のオリンピックが開催される。日頃は馴染みのない国を理解する好機である。新聞ではもう始まっているし、オリンピック当日ともなればテレビもジャンジャン報道するであろう。だがその前に私はオーストラリアの知識をリフレッシュしておきたい。杉本良夫「オーストラリア−多文化社会の選択−」、岩波新書、2000はこの目的にピッタリである。著者は在豪30年近いラトロープ大学人文・社会科学部の教授で、一度は日本の新聞に籍を置いていたと云う。夫婦は日本人だが、子息はもはやオーストラリアの人である。
- 住んで初めて判る社会の体質がある。著者が進歩的知識階級に身を置いている制限はあろうかと思うが、豊富な事例は読む人にオーストラリアの意識変革を納得させる。イギリス系移民が社会の中心を占め続けるのに自信を持ったからであろうが、非イギリス系白人、非白人系移民の文化を許容する多文化社会へと変貌しようとしている。ベトナム難民を初めとするアジア系移民が、勤勉と理解力で、社会の構成員に認められつつある姿が伝わってくる。問題はアボリジニで、あまりにもかけ離れた文化背景と存在すら忌み嫌われた歴史は、政治的精算以外に方法がないのではないかと思わせる。
- アボリジニには1章を割り当てている。私はこのホームページの「流浪の民」で、スイスの民族浄化に注目した。スイスではかってジプシーの子供を連れ去って、白人家庭で育て非ジプシー化する政策が実行された。この本にオーストラリアに同じ「アポリジニの盗まれた世代」問題があることを知り、ヨーロッパ本流を意識する人々の抜きがたい差別意識に驚く。多文化社会標榜はその反省に立つ時代の流れであるが、揺り戻しが来ないとは限らないだろう。多文化化は、周辺アジア諸国の発展に対応する実利性も勘定に入った話だろうから、今後を注意深く見守る必要がある。
- 気に入った文言を幾つか列挙する。アジアの社会科学の節で「アジアでは個人よりも集団を優先する」とする「アジア的価値論」を推進する一部の主張に対する不快感の表明である。一部とは何処の学者かは誰でも分かる話だ。次は言語の壁の節にある英語学習論である。プロフェッショナルな仕事には、論理的な構造を持った原稿を書いたり、説得的な討論をしたりする言語能力が必要とされる。挨拶や社交会話が上手という話ではないと言っている。小学校から国語や算数を削っても英会話をなどという人々に読んで貰いたいものである。銭の取れない英会話は無駄である。3つ目は投票制度である。ここでは元首を誰にするかについての国民投票が行われたことがある。わが国も首相は直接選びたい。選挙には投票の義務があって棄権は罰金だという。だから殆ど100%の投票率という。鉦と太鼓でやっと60%、雨が降れば我が党大勝利などと嘯く党首が居るわが国とは大違いである。
(2000/08/13)