
- 久方に江戸東京博物館に行った。「発掘された日本列島2000」と言う企画展をやっていた。奈良県櫻井市の纏向(まきむく)遺跡で出土した土器が、大和製とその他地方製に分けられていて、意外に広い物品集散の証拠とされていた。どうみても外形は同じような実用品ばかりなので、分類法を問うと決め手は土器の土質分析だと言った。年代が従来考えられていた以上に古くなった遺跡が紹介されていた。年代測定にC-14の質量分析を用いた結果という。C-14の放射能を利用した測定は知っていたが、質量分析は知らなかった。同じ質量数のN-14と分けるにはよほど分解能の高い分析になるだろう。電子1個の質量差なのだから。完全炭化でNを飛ばすのかな。だが前処理に手を掛ければ掛けるほど精度は悪くなる。結果を聞くのも楽しいが方法を詮索するのも楽しい。だが、納得行くほどの説明は貰えなかった。
- 常設展の入り口に案内受付があり、ボランティアが館内を案内してくれると云う。ハワイのビショップ博物館を思い出す。あそこではおばあさんが日本語で説明してくれた。日系何世かのボランティアだった。喜んで案内を乞う。お江戸日本橋の橋桁・橋板・欄干がケヤキで橋脚がヒノキと言った説明から始まって、東京の戦後まで十分時間を掛けて話してくれた。何度か見ていても案内されるとまた違った印象だった。別れ際には丁重にこのボランティアさんに礼を言った。
- 今回もっとも気に入った展示は勤番侍の生活だった。私が興味を持ったのは映像作品のせいである。市川崑監督の「赤西蠣太」、藤沢周平原作の「腕におぼえあり」には彼らの生態が活写されている。前者は主人公自身がお家騒動の大名屋敷内の長屋の住人であったし、後者では赤穂義士討ち入り前の緊迫した吉良邸内の長屋が何回か舞台になった。博物館には大名屋敷の模型があって、屋敷を取り囲む防壁のように、2階建ての倉庫のような長屋が建てられていた。外国人が取った全体写真、本郷前田家上屋敷詳細配置図、勤番侍が残した絵日記など、映像作品には鑑賞に堪えるだけの考証が為されていることが判る。
- 紀州藩士酒井伴四郎が勤番侍になってどんな生活を送ったかという表が面白かった。現在のサラリーマンに比べれば彼は至って暇である。彼はその暇を使って名所旧跡の見物に精を出す。私とそっくりな性分である。表に1カ年の生計費が26両としてある。179貫ともなっている。公定では1両4貫だそうだが、数字が合わない。江戸時代の貨幣制度は金貨立て、銀貨立て、銭貨立てと3本立てで相互関係は変動相場制で毎日変わる。金貨だって改鋳でどんどん悪くなるし小さくもなる。これでは商人が幅を利かす筈である。まあ金貨がそれでも一番信用できるから26両で考える。1両が4-20万円と聞いた。中をとって10万とすると、この28歳の、多分妻子を本国に残している勤番侍は1人260万円で1年を送っている。今の年金生活者の平均は200万円ちょっとだそうだ。時代を考えれば大変な高級生活である。同じコーナーに見える大工職人の生活がこの程度(銀1貫5百匁=金27両。渡辺和敏愛知大学教授はジパング倶楽部2001年5月号で「東海道中膝栗毛」時代に大工の年収は多い方で3両といっている。ちょっと差が有りすぎる。)だった。エンゲル係数は前者が20%後者が60-70%の数字であった。('01/04/28また博物館を見学。大工が米代だけに354匁を使ったと知る。質問書を出して置いたらしばらくして返事が届いた。夫婦と子供1人で1日1升だそうだ。米1升銀1匁で換算している。これだと1石が銀100匁、公定相場で金1.67両になる。文政年代にしてはちょっと高いように思う。それから「塩、醤油、油、炭代700匁」は殆どが光熱費と考えたいとのことだった。勤番侍の20%には現物支給の扶持米が多分勘定に入っていない。それを入れたら20数%にはなるだろう。人数差や疑問点を考えればまずは妥当な数字か。)私はこの勤番侍の石高とか役職に興味津々になった。ごっつい支度金(出張旅費)あるいはお餞別が貰えたのかな。
- 調べは図書室でと言う。でも結局は判らず学術研究員の世話になった。直ぐには出てこないので郵便で知らせると云うことになり退散した。(8/14追記:「酒井伴史郎の禄高は30石程度」との返事を戴いた。藤沢周平「蝉しぐれ」の主人公もこの程度で、慎ましい生活ぶりであった。禄高と釣り合わぬ消費生活はどうして可能なのだろうか、ますます不可思議である。)
(2000/07/21)