夏の佐原を歩く


日曜朝に新聞で佐原の夏祭りを知り、急遽出かけた。お祭り最後の日であった。
夏祭りは東区画、八坂神社のお祭りである。見慣れた町だから足がスムースに運ぶ。町中を小野川に出、忠敬橋を渡って伊能忠敬旧宅を経て記念館に入り休憩。冷房とトイレのある場所は災難だ。巡行とは逆を行く。田宿の山車は防水布が掛けられたままで、まだ誰も集まっていなかった。佐原小学校前の道から学校橋を渡り、もう一度小野川を渡って浄国寺に行く。日蓮宗である。門の屋根瓦に草が生えている。本堂のガラス戸は細く開けてあったが、玄関の扉は永く開いた様子はなかった。境内をお墓が埋め尽くしている。結構広いお寺である。本堂前を横切って次の通りを川の方に進む。ここまで来ても小野川は濁って澱んでいる。今まで澄んでいるのを見た事がないように思う。何故だろう。中学生ぐらいの良い研究材料である。牧野橋を渡るとスーパーが目に入った。汗を引かせ弁当を物色するためしばし滞留。
スーパーの裏道から出たのが悪かった。造成中の新道が途中で切れてしまった。切れたあたりは県立佐原病院附近で、そこからお囃子と山車の曳き子が手踊りを披露しているのが田畑の向こうに見えた。かなり大回りになったが近づくと山車は仁井宿町の鷹であった。昔は仁井宿村だったという。宿という字が付いているが別に宿場町ではなかったそうだ。丁度昼時になって踊りは止んだ。山車を身近に見ると台車の木地が新しい。昨年3000万円掛けて作り替えたのだそうだ。但し飾りの彫り物は大半は昔のものを転用している。夏祭り寄付は1軒づつ紙に大書して山車に張り付けてある。5000円から1万円ぐらいが相場のようだ。酒2本なんていう寄付も書き出してあった。お囃子は大体どこも似た音色だが少しずつ山車により違うのだそうだ。笛、鉦、小鼓、大中小の太鼓に掛け声ぐらいで構成している。
仁井宿はもう谷津と言える地形である。入り込んだ田圃が終わる位置から丘が始まる。その裾を歩いて10軒ほどの部落に到達する。本道から外れた細い道が部落の中を通っているから昔からの集落である。その細道を辿るとグニャグニャと曲がりながら結局佐原病院の側に出てしまった。引き返し牧野橋の反対側の道を観福寺に行く。
真言宗豊山派と言う。豊山派は長谷寺を総本山とする。真言宗は主な宗派だけでも12を数える。私の家も真言宗だが、墓を守ってくれている末寺がさてどの宗派なのか自信はない。宗教には分派活動が付き物だが、日本の分派はちょっと極端である。大乗仏教と小乗仏教の差だってなかなか云うのは難しい。真言宗と天台宗とになるとますます判らない。開祖が違うと云うことだけしか判らない。その真言宗の中の宗派の教義上の差になると全くお手上げである。一般仏教徒にも分かり易いスタンダード教典が欲しい。
このお寺を訪れるのは2度目である。最初はもう何十年昔だったか。その佇まいは殆ど変わっていなかった。山門を潜ると石段が斜め方向に上っており、奥に静かな本堂があり、広く開け放たれている。更に石段を登ると鐘楼や大師堂、他いくつかの建物がある。伊能家一族の墓地がある。苔むした墓石、古い形式の墓石も多い。
八坂神社にお参り。祭りに合わせてたくさん屋台が出ている。寅さんはたたき売りが商売だったが、あんな口上で元気よく叩いている店は1軒もなかった。そう言えば関東に来てから一度もお目にかかっていない。私がたたき売りの最後を見たのは京都時代だったと思う。もうあの一統は途絶えたのであろう。このお宮の裏通りと表通りでいくつかの山車運行を見た。八日市場の鯉、舟戸の神武天皇、荒久の経津主命(ふつぬしのみこと)、本川岸の天鈿女命(あまのうずめのみこと)。表通りににぎわい広場があって各々の山車が運行途中に立ち寄ってお囃子を奏で臨時の舞台で若手が手踊りを見せる。だが私にはやっぱり運行中に綱を引く手を休めては踊ってみせる方が落ち着いて見れる。2度目で目が肥えたのかそれとも本当にそうなのか今回の祭りはちょっとだれ気味だった。佐原秋祭りは市政50周年記念行事に繰り込まれているので、秋のためにちょっと節約したのかも知れない。あるいは祭りは中日をねらって行くのが常道なのに、終わり日だったからかも知れない。
汗、汗の一日だった。ビールに牛乳、コーヒー。冷たい飲みものは何でも口に入れた。それに日焼け。曇り空だったのに、肌の露出部はすっかり黒くなった。見物人だってこうだったんだから、綱を牽き踊り、囃子を奏で運行を差配した人々は何倍か大変だったろう。夏祭りご苦労さん。

(2000/07/18)