「花見と桜」後聞


この春、白幡洋三郎、「花見と桜 <日本的なるもの>再考」、PHP研究所、2000を読み、書評をPHPのホームページのBOOK chaseに投稿した。中身は私のホームページの白幡洋三郎「花見と桜」から始めの2文と最後の1節を除去したものである。ただ要求に従って、以下のキャッチコピーを新たに書き加えた。《キャッチコピー:ユニークでオリジナル性の高い日本文化再発見のご案内である。文章は易しく簡潔である。しかも引用文献が親切だ。和歌、連歌あるいは川柳などからの昔の花見の再現は本書のハイライトである。》
一月余り経ってから没の返事が来た。返事には次の理由が載せられていた。
「全体的に、本の内容を要約されているような印象を受けました。お読みになられた本の、どこが面白かったのかという点に絞ってお書きになられてはいかがでしょうか。また、読みやすくするために、センテンスは短かめに区切ってみて下さい。」二信目には「BOOk chaseは、皆様が「面白い」と感じた本をユーザーの方々に紹介しています。今回お送りいただいた書評はそのままではどこを面白く感じられたのか分かりずらかったため、掲載を見合わせていただきました。また修正してお送りいただければ、再度検討させていただきます。」とあった。
短い文章は書き難い。本文はすらすら書けるのに、要旨とかresumeになると筆がぴたっと止まるのを経験した人は多いだろう。出来上がった文章の評価も別れる。その一番極端な例が俳句である。これぐらい短いと死んでからでも評価が定まらぬ。だから第2芸術である。私はメール発信者に何も意見を返さなかった。自分のホームページに載せて置いて良かったとは思った。「花見」が「桜」の散ったあとで出てきても「気の抜けたビール」であるし、事実は更に悪く、一月あまり遅れて没だったのだから。
何時の頃からか、私は発表に予め自衛対策を構じるようになった。オリジナリティの確保のためである。もう40年も前に大学間での研究テーマの盗用問題が発覚した事件以来、絶えず気を配るようになった。特に外国への発表には注意した。査読者や編集者が、オリジナリティを争うために故意に掲載を遅らせた事例が報告されているからである。別段今回のメールの内容ぐらいはどうと言うほどのことではないが、期待が外れたときの救済策はこの競争社会では必須である。私は最近は物言う爺さんを心掛けている。首相官邸、各政党、地方首長、マスコミ等々。投書の安全対策にこのホームページを結構活用している。
私がPHPのBOOK chaseに持った不審は「選者」の資格についてであった。私が住んだ世界では、編集長あるいはEditorが著者とのやりとり全部の窓口を勤める。審査誌では世に認められた権威が、査読者つまりReviewerになって、内容を吟味し受理・不受理・補強の意見を述べる。もちろん決定権は編集長が握っている。でも私に発信した人の肩書きは「担当」であった。呼び方はどうであれこの「担当」はPHPで認められた公式の「編集最高責任者」でなくてはならぬ。投稿で成り立っているBOOK chaseなら一番の本質問題だからである。そこを問い正したが、どうも実力Editorで実力Reviewerを兼ねているとぐらいにしか判らなかった。そこで私は最後のメールに嫌みを付け加えた。「私は、この国がなし崩しに規律軽視のぶよぶよしただらしのない姿に変わって行く傾向を座視できない質なんです。」と。

(2000/06/17)