
- 岡本祐三「介護保険の教室−「自立」と「支え合い」の新秩序」、PHP新書、2000を読む。介護保険制度立案から実施に至るまでの経過と背景を解説する。著者は大阪で介護問題で幅広く活躍する臨床医で、厚生大臣の諮問委員会「高齢者介護・自立支援システム研究会」のメンバーとして制度確立に尽力した人だから、本題を論ずるのに相応しい方であろう。
- わが国は諮問委員会が発足した前年から連立内閣の時代に入った。発足直前までの厚生大臣は民社党の大内氏、発足時は村山内閣である。要するに近年では初めて福祉民生が看板の政党が内側から政策を実行する下地が出来た時代であった。介護保険制度の成立は、時代時代に思い切った変革を望む一票を投じることが、いかに大切かを示す歴史の証言である。
- なるほど画期的な制度である。今まではお上が面倒を見てやる措置制度であったのが、被介護人が選べる保険制度になるのだから。地方自治体が保険者である。事業が地方自治体主管でも、財源を国や都道府県に依存していると、紐付き行政の典型になって地方分権にほど遠い状態となるが、この保険の予算は地方自治体が完全に握っている。地方自治体が徴収できるのは高齢者からだけだが、現役世代の保険料と租税が高齢者負担分の5倍を自動的に拠出する。老齢化が進んだ地方は働き手を都会に送り出しているのだから、都会での上がりを地方に還元するのは当然である。これは孝養の社会化である。しかし働き手もいずれ老齢化する。その殆どは働いた場所に定着し田舎には戻らない。離れて長くなると田舎の身内意識も薄くなるだろう。まあ5倍は少し多めにと言う判断だろう。彼らの老齢化に合わせて施設と要員を充実させねばならぬ都会も多いのである。
- 昨年後半にこのホームページに「老老介護」を書いた。その視点は介護する家人の立場であった。俵孝太郎「いつまで続くぬかるみぞ」の書評も兼ねていた。岡本祐三先生の視点は医療・行政の立場である。現場に立脚している点では同じで、類似の発言が見当たる。昔の「親孝行、したいときには親はなし」「看取り三月」は自民党亀井静香政調会長の「子が親の面倒を見る美風を大切にしたい。親子の関係を老人と社会という関係に置き換えるのはいかがなものか」に対する反論として取り上げている。全く同感である。美風時代は介護3ヶ月でよかったが、今は30年だという意味である。専門家としての発言、「寝たきりは寝かせきりが作る」は近年進歩の認識だが、「寝たきりの根源はまだよく分からない」は遅々として進まぬ老人医学の現状への嘆きでもある。行政関連では地方分権化への熱い思いが何度も露洩される。
- マスコミに対する批判も「本質を見ていない」として取り上げられている。コンピュータによる要介護レベルの一次判定が、専門家による二次判定と差が出た問題にマスコミが飛びついた批判記事への批判である。「寝たきりの根源は判っていない」が「高老齢化社会が待てない」から始まる介護保険を、より公正化するための仕組みが二次判定で、医療が数学と同じでないことを示すこの単純な論理がマスコミには理解できない。あるいはマスコミは情報を売らねば食って行けないから承知の上かも知れないが、本質などお構いなしに事あれかしのマスコミでは困る。99.9%が日本人なのに、たまたま外国人(それも必ず白人)が観衆の中に混じっていると、彼(女)ばかりを映像にしたがるお祭りの実況中継のようなものだ。
- 「隣の花は赤い」だが、北欧諸国の先進ぶりはやっぱり勉強になる。彼らの参加型民主主義が政治システム行政システムへの厚い信頼となり、仰天するほどの福祉民政費用を国民が了承しているという。岡本先生に云わせると、わが国はまだおまかせ民主主義で、北欧の国政選挙投票率70%台に対し、わが国の50%台は「おまかせ」のよい証拠である。今衆議院選挙が始まったばかりである。過去の新聞は政治の腐敗が投票しても無駄という流れを呼んだと言った論調が多かったが、今回はさすがに有権者の責任ある行動を呼びかけている。
- 政党も軍鶏の蹴り合いのような話は取り下げて欲しい。与党となる以前、公明党は国民が感じるアキレス腱、創価学会との政教分離問題、でその指向について随分疑われた。お返しかどうかは知らないが、公明党が最近の党首討論会で、政権を取ったら民主党は共産党と組むかという点に焦点を当てて野党を牽制している。国民の共産主義アレルギーへのアピールをねらっていることは確かだ。公明党の過去を振り返れば、またイデオロギー時代はとっくに過ぎ去ったのだから、民主−共産連合なんて政治の世界では可能なことは明白である。民主党もはっきりイエスと言ったらよいのにと思う。
(2000/06/15)