
- 「S. P. ハンチントン、文明の衝突と21世紀の日本、集英社新書、2000 」を読んだ。戦後マスコミだけとは云わぬが脳天気の人々が唱え続けた平和日本、無軍備日本、戦争放棄国日本、国連主義日本、世界友好など数々の「話し合い解決」の理想が、いかに甘く虚しい幻想かを知らしめる好著である。人は所属の文明の擁護のために、時には民族の半分を犠牲にしても闘うものである。かっての「神の国」日本の民がそうであったように、朝鮮半島でも東南インドシナ半島でも、アフガンでもイラン−クエートでも、セルビアでもコソボでも、カシミールでもスリランカでも文明の衝突がどれほど深刻なものか思い知らされる。
- 「文明とは人類を分類する最終的な枠組み」と定義されている。「文明は人を文化的に分類する最上位の範疇であり、・・・、人の持つ文化的アイデンティティの最も広いレベルを構成している。」とも書いている。私は文明を社会開明の理系要素に、文化を文的要素に結びつけて学んだ。だが、この本では文化は文明の下位概念になっていることに注意する必要がある。理系と文系の要素に分ける考え方は19世紀のドイツ流で今は流行らないと云う。その文明を規定する中心的な特徴は宗教である。著者は世界を7-8の大文明圏に分ける。イスラム、インド、西欧、ラテンアメリカ、東方正教会、中国、日本それにアフリカ。アフリカが文明の衝突の最大単位であるかどうかはちょっと疑問だ。どの文明圏にも偉大な宗教の影が確かにある。日本まではその強烈さというか直接性と言う基準で私が影響度の強さに並べてみた。私が学んだ頃にはミャンマー、タイ、カンボチャ、タイ、ブータン、チベット、蒙古、中国、朝鮮から日本に及ぶ仏教文化圏があったが、聖戦に参加するほど民族横断的な文明圏を作ってはいない。だから著者は外したのだろう。
- 最初の本格的な文明の衝突はアフガン戦役だったという。イスラムの諸国はサウジアラビアを始めとする資金援助、義勇兵の大量参加、パキスタンの兵站基地や訓練基地の提供など大変なバックアップで聖戦を支えたという。マスコミの報道から私が受けていた認識は、限定的な民族戦争というものであった。上述のイスラム圏の貢献は記事としてはどこかにあったかも知れないが、その意味を文明論的に捉えたマスコミは殆ど無かったのではないか。アメリカの近代兵器の援助は勿論効果があったが、「七人の侍」で示されたように勝ったのは「農民」だった。原理主義者が意識的に優遇され、彼らの高揚が今日のイスラム社会内あるいは外部文明圏との摩擦を引き起こしている。イスラム圏の好戦性は青少年人口が他文明圏に見られぬほど高いのも理由の一つとされている。私はそれにもう一つ何処よりも男性支配的文明である点を付け加えたい。
- 日本は単一国家単一民族の全く他に例のない孤立文明圏を作る。政治家の思惑マスコミの奨励に乗ってロシアに中国に進出した中小企業が、殆ど99-100%敗退を余儀なくさせられたのは記憶に新しい。中国では華僑系台湾系の輝かしい成功とは裏腹にである。そのいくつかが故無き敗退と報道されている。「故無き」とは官が一体になり細工するとか、赤字に仕組まれてしまうと言う意味である。中国側の同文と言う誘いかけの意味を高い授業料で学ぶことになった。トヨタが中国に出るそうだが、よほどの高官とのコネを確保したのだろうか。ロシア、中国での失敗は、異文明国への進出にはしっかりした文明論認識と国家機関の強力なバックアップがないと、まずは失敗する良い例である。
- 本書の土台になっている大作「文明の衝突」は、解題の中西京大教授に依れば、アメリカの国家戦略論だという。西欧文明の価値観を世界標準化しよう、普遍化しようとする動きはアメリカ議会政界で依然大きな底流を作っているが、彼は世界多文明容認が西欧文明が長くリーダーシップを維持するための条件であるという。マッカーサーの占領時代は西欧文明優位、普遍化の時代だった。日本人に西欧文明の価値観とシステムを植え付けるのに相当な成果を上げた。だが、学級崩壊が起こり、17歳の人非人的非道犯罪が相次ぎ、中高年失業が社会の根底を揺るがし始めると、「失われた価値観」へのノスタルジーが日本文明への回帰をそれとなく促すようになった。今のような他人への無関心、不親切、非協力、無愛想はかっての日本にはなかったのである。
- ピョートル大帝も英雄ケマルも祖国の西欧化を標榜したが、何百年あとの今日でも、本書での分類は相変わらずロシヤは東方正教圏の中核国、トルコはイスラム圏国である。メキシコが今ラテンアメリカ文明を離れて北アメリカ化を目指しているという。わが国にもその種の議論が跡を絶たぬ。和魂洋才型変革までは出来る。だが、歴史は国民の心の心棒まで変えるには1000年が必要であることを示す。片想いの疑似西欧文明圏が本家に認知されるためには、更に相当な時間がかかる。それに、次第に実力を増す地域の中核国は、決してアメリカの一極支配を認めない。アメリカが多文明の容認の下に共存共栄を計り、その中でのリーダーシップを願うのは、我々からも願わしい常識的な方向である。
(2000/06/02)