どら平太


「雨あがる」以来の映画館であった。正味が1:50ぐらいの娯楽時代劇大作である。日本を代表する4人の映画監督の共同脚本を市川崑が監督したと言う鳴り物入りの映画である。金曜日の朝1番だったが、定員100人ほどの劇場に1/3ぐらいの入りだった。
まず予告編の中身に考えさせられた。洋画系はたばこの害に立ち向かった男達の話と、年を取りすぎたアメリカンフット過去の名選手の復活物語だった。それはいい。だが、邦画系は未来の科学的妖怪変化の話2本とウルトラマン的動画1本だった。邦画系では人間性に欠けた主役悪役が活躍する話が何故のさばるのか、17歳前後の、人の匂いのしない残虐な犯罪が相次ぐ世相と、思想的には軌を一にしていると感じる。
小藩の治外法権的港町を取り仕切る3人の大親分と彼らと手を組んでいる藩重役連合。菅原文太、石倉三郎、石橋蓮司が3親分、大滝秀治、神山 繁、加藤 武、三谷 昇らが藩重役である。脇役も一流である。江戸には役人も入り込めない無法地帯があったと言う。これは捕物帖なんかからの知識である。類似の場所は地方にも、規模の差はあれ存在したのであろうか。江戸在住の若殿様が、腐った関係を刷新するために送り込んだ町奉行が役所広司の望月小平太、人呼んでどら平太である。「どら」とは平素の、3拍子そろった悪評高い振る舞いから出ている。江戸から追いかけてくるのが淺野ゆう子芸者こせいで、いなせな啖呵で花を添える。彼を助ける友2人。目付・宇崎竜童は実は城側と親分衆との連絡役、片岡鶴太郎は凡庸だが誠実な友である。
屋内のセットが良い。文太大親分のお家など襖絵一つとっても結構な隙のない造作である。お城の大広間に廊下も立派だ。飲み屋も様になっている。屋外のセットも念入りだ。屋台、岡場所、山門のある土地の寺、みななかなか凝っている。NHK「お江戸でござる」で杉浦日向子さんが細かく解説してくれるからこちらも目が肥えているが、全般になかなかの時代考証である事が判る。色んな背景を使った豊富な演技を見せてくれるから、ついそこに生きているような錯覚を覚えさせる。ご禁制品の小分け現場で、何と葡萄酒を詰め替えているのは初めて見るシーンであった。「見たのが100年目」と迷い込んだこせいにドスを突きつけるのも時代の雰囲気を作っている。役所広司は役に見事にはまっている。三船以来の堂々たる侍ぶりだ。すれっからしの浪人ではなく、親が江戸家老に推挙されるほどの家で、不自由なく大らかに道楽してきたという雰囲気が出ている。立ち回りは全て峰打ちで、1人も殺さないのもあまりない趣向である。切りざまもよく腰が入った殺陣で立派。画面画面で市川監督の職人技を堪能させる。
難を云えば、これは役者のせいではなく台本のせいだが、主人公が強すぎる上に一度もつまずかないのは、ちょっと薬味の足らないフランス料理である。椿三十郎にしても用心棒にしても隠し砦の三悪人にしても、強くても危ない目に遭う場面があって、そこで始めて見ている方には人間としての共感が湧くのである。市川監督は少し脚本に継ぎ足すべきであった。理想のスーパーマンという意味では派手な金の使いようもそうだ。主人公は町中で人目を引く演技が必要な立場だとは云え、武家にあれだけの軍資金余裕があるとは思えぬ。女郎屋で数人の女を一度に引かせる、ばくち場での派手な賭けっぷり、まあ親分衆が見抜けなかったといういかさまを使ったことで説明はしているがちょっと不自然である。最初の賭場で岸田今日子の壺振りが出てきたのはご愛敬であった。
役所広司が持つ上意書とは、水戸黄門の印籠と同じ発想だが、話の真っ先に出てくる点が興醒めである。黄門様の印籠は越後の縮緬問屋の隠居がとことん追いつめたあとで事件に終止符を打つために出てくる。好き勝手の探索活動が天下御免というのではスムースな結果が見え見えで面白くない。しかも上意書が真っ赤な偽物なんて落ちは作意が過ぎるし都合が良すぎる。悪事露見後の責任の取り方、処罰方法も極めて手緩い。武家社会の掟を体現したのは全責任を負って自刃した宇崎竜童のみである。尻尾切りの現代への皮肉のつもりかも知れないが、体制側の体制内での改革を追っているのが、全体としての迫力を欠く大きな理由である。

(2000/05/21)