能登の旅


二泊三日の、小松空港から出発してそこへ戻るバスツアーに出かけた。中間の第二日は粟津温泉−輪島−金沢の旅である。団体旅行の朝食は大抵がバイキングでついつい卑しく食い過ぎになるのが欠点である。車窓から片山津温泉を湖の対岸に見る。女将の会が頑張らねばならぬほど、この温泉も元気がないそうである。粟津では店仕舞いをした温泉旅館を幾つか見た。能登道路は丘を削り樹木を倒して4車線化の工事中である。能登空港建設に合わせるのだという。今でも大して走っていないのにと思う。無駄遣いばかりが目立つ政治では困る。
バスガイドの説明では、能登にはアカシヤ、ニセアカシヤが多いと云うことだった。アカシアと紹介された木は新緑で淡い白色の花を咲かせていた。しかし間近に停まって眺める機会がなかったのでしかとは判らなかった。新芽を天ぷらにするとうまいといったのはこの木であったか。帰って牽いたが、アカシアとはマメ科アカシア属の500種の総称とあってますます混乱した。次ぎに石川県の県木アテ(別名アスナロ)を紹介。百科事典でアスナロをひくと明日檜という字が当ててあって、同じヒノキ科だがヒノキより品質が落ちるために明日はヒノキになろうという願いから、アスナロの名を頂戴したとある。能登半島北部に産するものは、果鱗の突起がごく短く変種ヒノキアスナロ(別名ヒバ)とされるとあった。そしてヒバを牽くとやっとアテという名が出て来、それが輪島塗り漆器の木地であると書いてあった。八重桜がもう終わりであったから季節は関東と殆ど同じである。
昔は雪の多い地方であった。民家の屋根勾配は幾分きつ目のようだ。黒光りの屋根瓦は特徴的で、高温で焼いた瓦だからと言う。雪が一時にどかっと屋根から滑り落ちないように雪止めの付いた瓦もところどころ使っているとか。民家の壁は縦横に巡らした木組みを見せている。白川郷に行く白山街道の脇に見たような構造である。屋根部屋の小窓が見える家もあった。
輪島朝市には11時頃に着いたであったか。さすが天下に名を馳せただけの規模だった。と言っても小さい町だから市の長さは2丁もあったろうか。婆さんの売り上手なこと。なかなかの活気だった。もっと早ければもっと活気が溢れていただろう。彼女らは12時前にはもう店を閉めて帰る。リヤカーあり、軽トラあり。魚、干物などの海産物、野菜、山菜それから饅頭程度の加工食品までは当然だが、結構観光客相手の土産物もある。蒸した餅米であんを包んだ饅頭えがらを店先で頬張ってみた。皮はクチナシで黄色に染めてある。それから丸柚餅子を買う。結構高価な菓子で、小さなので1個が千円である。NHKで紹介されたという中浦屋である。朝市では小さな丸柚餅子を切ったサンプル、本店では大きなのを切ったサンプルを試食した。小さい方が柚餅子らしい味だった。
輪島塗の店を見学、工房も見せてくれた。それにしても漆の木は見かけない。能登半島北端は千枚田でも有名だ。その雰囲気を伝える小さな田圃の重なりを道の両脇に見る。大抵上の方は放棄され休耕田になっていた。観光名所として維持するのに地元は補助金などで大変だそうだ。海岸線を西回りに自然の造った景観を楽しみながら南下する。関の鼻のドライブインで一旦休憩。岬の先まで歩道が出来ている。北海道の襟裳岬ほどの規模ではない。幸い風も波も穏やかだったので先端まで出れた。波の洗う板岩から海中のもずくらしき海草が浮き沈みするのを見た。
厳門はバスガイドが案内してくれた。能登金剛はここら一帯を指す地名らしい。海水浸食で空いた穴の近くまで降りられる。観光船が20分で回るというのでそれに乗る。海側からの観光も良いものだ。海に面した絶壁岩礁の全貌が目にはいる。南に福浦という天然の良港があり、渤海国との交流時代から北前船の往来時代まで栄えたという。腰巻地蔵という相応しからぬ名のお地蔵さんがあって、この風待ち湊にあった色町の哀愁を伝える。日本最古の近代木造灯台が残っている。岩がそそり立つ奥能登の景観が終わって、砂浜海岸が内灘まで続く。千里浜ドライブウェイは車輪がめり込まない砂浜を自動車が疾走するコースである。2里を走って金沢に着いた。



朝市のお巡りさんは親切(輪島、2000/05/09)

(2000/05/15)