小渕首相脳梗塞


小渕首相が脳梗塞に倒れるとは思いも寄らなかった。1年と8ヶ月だったと言うが、最近では安定政権の方であったと思う。小渕首相の今後の回復を切に希望する。介護保険が始まった日に、そのお世話にならねばならぬ脳梗塞という厄介な疾病に侵されるとは、まことに因果な話である。介護保険とはともかくも福祉政策の前進であった。その政策実施上の最高責務者がこの病に冒され、改めて介護について考えさせられた。次期内閣は選挙管理内閣であろう。台湾総統選挙という刺激的な話題があったばかりであるので、わが国の選挙制度改革についても思いを新たにした。
私は今年早々に現役引退を宣言した。医学的には、高血圧ではないが高脂血症が長く、おまけに眼底出血というシグナルを貰ったからである。それまでも少々論文を読み書く程度で、別段、脳を酷使していたわけではない。首相は私より若い62歳という。家族を初めとする周辺は万全の体勢だったろうと思うが、結局は本人の自覚である。首相という想像を絶する激務は、自覚を優先させることも出来なかったのかも知れない。脳梗塞、脳卒中その他不意の不随疾病は、老齢と共に加速度的に確率が高くなる。民主主義体制の諸国家の首脳は概して若く、わが国のように60を越えるのが通例という国は殆ど無いのではないか。今は平和時で良かったが、国際間の緊張が高いときに首相不在の時間が続くようでは、不安である。早く40台50台の首相を選出できるシステムを作らねばならぬ。
今は首相間接選出制である。我々が選べるのは国会議員までで、その最大与党の選ぶ総裁が首相である。ところが現実には国会議員は、地域社会の、または推薦団体の利権代表としての性格が強い。国家100年の計に資する冷徹な論理思考と決断力などが、彼らの総裁選定の第1の基準となっているとは到底思われぬ。「身内の論理で後継選び」(毎日、4/6)では堪らぬ。これでは端的に言えば、首相が「滅私奉公」する相手は議員で、国民ではなくなる。そもそも三権分立を唱えながら、立法府の議員から行政府の長を選ぶ方式がおかしい。よろしく首相直接選挙制を実施すべきである。国会議員選挙ですら国民の投票率は低い。政治に対して関心が低いわけではない。韓国のように、選びたくない政治家リストを実名で発表するような運動組織がない限り、汚職議員、破廉恥議員など見抜けないのである。そして自らの投票結果に無力感と失望を味わう。たった一人の首相の選挙であれば、候補の透明性は遙かに確かになり、国民も力が入るであろう。85%であったか、台湾が総統選挙で、今の日本では到底期待できぬ投票率を実現したことを羨ましく思う。
脳梗塞の小渕さんが今後長年にわたり要介護である事は間違いなかろう。ぜひ介護保険の世話になって貰いたい。小渕さん在任中の福祉の目玉だったのだから。保険料を支払う段になってちょっと不公平だなと思った。1つは、40歳以上だから健康保険ほどではないにせよ、中年層も老人層を支える構造になっていることである。昔は誰もが結婚し子孫を残すという前提があった。だが今は子供を作る層と作らぬ層に分かれている。子供を作った層はその養育に人生のかなりを掛けている。その子供達に、作らなかった層の負担をさせていいのか。作らなかった人は、多分儲けの大半を自分自身のためだけに使っているのである。これは不公平というものである。2つは、介護保険の対象でない病では掛け損という問題である。だんだん医学が進歩して、ある種の痴呆、ある種のガンなどが遺伝性であることが判りだした。昔から云う家系もそんなに非科学的な話ではない事が判りだした。ガンの家系ならガンを優先対象にしたいと思うだろう。痴呆はこの強制の保険で面倒を見て貰える。だがガン入院費用は別の保険でと言うのはちょっとおかしい。
社会や子孫、ましてや他人の子孫におんぶせずに、自分の経費は自分でと言う方向が一番合理的でスッキリしている。それに乗り切れない人の救済は、明確に社会の慈善として行えばよい。我々は慈善に慣れるべきである。慈善と権利を混同している「弱者」をしばしば見受けるが、キリッとした美しい社会とはそんなものではない。例えば健康保険は一本化し、あらゆる病気に積み立て掛け金の倍の予算枠までの支払いとする。あとのリスクは介護も含め自業自得と割り切る。積み立て掛け金の額は自分で選択できるようにする。こうでもしないと、公的保険の会計はパンクするのが目に見えている。

(2000/04/06)