
- 著者の佐藤文隆教授が云うように、つい20-30年前までは「物理学の世紀」であった。たしかにニュートン、プランク、マクスウェル、アインシュタイン、シュレーディンガー、日本では湯川、朝永等々の巨人を思い浮かべるだけでも、他の理学部門を圧倒する展開が物理の世界に起こり、他の科学分野の発達に機関車の役目を果たした。しかしとてつもない予算を食う高エネルギー加速器SSCや熱核融合実験炉への疑問は、物理学の、社会からの遊離を印象づける結果となった。宇宙天文学も物理学の独断場であろうが、その巨大化ぶりには、市民は少々眉をひそめているのではないか。物理学と言えども唯我独尊ではなく、支える市民の身の丈にあった科学でなければならない。
- 私は現役の最後の方では化学者を標榜していたが、化学が受けている恩恵は反応に関してはシュレーディンガーまでであり、高分子理論における繰り込みあるいはフラクタール論も、元を正せば朝永先生あたりからの思想と承知している。私どもの素粒子物理学はせいぜい湯川中間子までで、その後出てきた数々のレプトンやクオークには無縁と言って良い。固体物理は半導体工学あるいは高温超伝導体工学に大いに貢献したであろう。私はこの方は全くの素人だから理解の外であるが、不純物の影響以降は、むしろ物理学が工学に引きずり回されて混迷しているのが現状ではないだろうか。私は化学工場で化学工学が誰もが一通り勉強する共通工学であることを知ったが、同じように物理学は理科の共通学問である。化学工学屋の苦しみは、化学工学が化学工場の必要とする知識を最小限ながら提供し終えた時点から始まった。物理屋も成熟した学問をやる立場となって、今からは苦しい道を歩くのであろう。
- 第1章から第3章まではこんな物理学の歴史である。第3章「物理帝国 展開」あたりになるとオールド・ケミストにはかなり理解困難になる。特に理論の説明にはついて行けない。素養の無さを嘆くばかりだ。ぐっと我慢して最終章「物理のデザイン 成熟」に入る。多分この章が著者が最も力を入れた部分ではないかと思われる。まず統一理論の話が出る。電磁気学、相対性理論、量子力学と違うように見えるジャンルの理論が一つの統一理論の部分空間になるように高次元空間を持ち出す。大は小を兼ねると表現されている。本当の中身はさっぱり判らないが、感覚的には何となく理解できる。私は直鎖高分子が4次元で、分岐高分子がたしか8次元でやっと理想状態になることを知っているが、次元をせり上げて無駄とか現実を吸い取るやり方は物理学の発明らしい。
- 次が「純粋と不純」のサブタイトルで高温超伝導のフィーバーぶりから、それまでの純粋指向の物理学の反省を述べている。何しろそれほど大きくもない日本の電線会社から、一時に、100件を越す物質特許が出願されたほどのフィーバーぶりだったのを思い出す。著者の感想は化け屋の私の感想とも重なることは既に述べたとおりである。「シグナルとノイズ」の項では先端で闘う実験屋の真理を伝える。ノイズとシグナルを区別できたらまた新しい自然にぶっつかる。人より早く区別できた研究者に栄光が輝く。先輩の故・八木博士がいい実験室には余所にない実験道具があると言っていたのを思い出す。道具あっての区別である場合が多い。
- 数学や物理学をやる人は、かってのマルクス陶酔者やカリスマ教主に跪く新興宗教信者に性行が似ているかも知れない。この本では「社会的訓練のない若い人を惹き付ける、単細胞的な人間向きの学問」と物理屋を揶揄する雰囲気が、知的社会に存在すると書いてある。筆者がいつも口にしているという、物理学の学習は「ありのままに世界を見ない」手法を身につけるための修業だという言葉、「機器によってのみ結びついた素粒子の世界や宇宙の端の世界は貧しい」という言葉は含蓄のある良い言葉である。
(2000/04/04)