
- 初めは占領軍に強制された思想であり社会体制からであったが、我々は自らの手で戦後半世紀ばかりの間に本人が驚くほどの変身を遂げた。日本は今はもう「洋魂」の時代に入った。それでは敗れた時点での和魂はどんなものであったのか。引退の身になって一度じっくり振り返ってみたいと思っていた。ベネディクトの「菊と刀」はその目的には最適の好著である。
- 恩と義理、恥の文化など、敗戦が国民学校6年生のときであった私には一々思い当たる概念である。感心したのは「各々其ノ所ヲ得」と言う章であった。人にもその集まりにも更に民族にも、それぞれにあるべき姿というか相応のふさわしい持ち分があって、それを堅固に守りはみ出さないのが、世間平穏無事の正道であると、日本人は信じているという。私が最近の時代劇に欠けていると感じる最大の要素である。
- 「人情の世界」の章の終わりに戦意高揚映画について触れている。明治以降うち続いた戦争で親子三代がそれぞれ不具、びっこ、盲目と戦傷を負った銃後の生活を写せば、アメリカ人なら最も優れた反戦宣伝だと感じるという。だがこれが皇恩に報じた家族の栄えある姿として軍国主義者の宣伝の具になっていると解説している。「陛下の御楯になれ」つまり弾よけになるのが臣下の道だと、学校で何度も教育されたことを思い出す。
- 著者は用心深く、日本を中国文化圏だなどとは云わない。同じ儒教の思想でも日本と中国には随分の差が見出される。中国の忠誠孝行は宗族の範囲である。中国には470ほどの宗族しかないそうで、その中の団結は固いが、国家単位での意識には欠けている。勿論書かれた当時の事情で今の中国ではない。日本では孝行の対象は同居の父母祖父母までであり、忠誠は江戸時代は薩摩藩、肥後藩の如く藩単位であり、明治以後は国単位となった。こんな相違点が各所で解説される。よく見ていると改めて思う。
- 著者ベネディクトはついに一度も日本を訪問することはなかった。それでこれだけの総括が出来たのだから、一度は肌に触れ実感しないと収まらぬ実証主義者など全く顔色ない。占領政策目的に軍からの依嘱で行われた基礎研究という。著者の資料は文献、日本軍捕虜の言行、日系人隔離収容所からの二世ぐらいのようだ。自文化であれば当然と見落としてしまう些細な慣習に意味を見出すには、異文化人が好適であると云った意味の記載があるが、それだけでないのは明白である。東洋文化全般に幅広い蘊蓄のある文化人類学者であることが、この名著の基礎を作っている。それからこの著作以前はむしろ詩人として知られていたと云うから、文化に対する感性の高い人であったことも、非凡な著作を生んだ理由であろう。
- 今までの常識慣習秩序からはみ出た事件が起こるたびに、あるべき姿、あるいは過去では通用した「其ノ所」が思い出され当世の道徳の荒廃云々が議論される。ベネディクトの著書を読んで、この半世紀に我々が取り払い取り入れ変更を加えてきた文化の質に思いを致す。お宮もお寺も役割を担えなくなった、しかし教会も入り込めそうもない日本の道徳律の継承あるいは確立に、教育勅語でもない、修身でもない、しかし暗黙ではない心の教育を幼い時期に植え付ける手段を持ちたいと思う。
(2000/02/23)