淀君の小袖


東京に出て丸紅の文化事業「丸紅コレクション」を見た。
高島屋8Fの展覧会場は入場者で溢れていた。西洋人画家の絵日本人画家の絵共になかなか充実していた。いつかどこかで聞いた巨匠の作品が多く、まずは良いコレクションである。何か方向を定めて特色あるコレクションを目指している風ではなかった。私が良い絵と感じたのは、小品だけれども椿貞雄の花瓶に生けた花の絵だった。巨匠の作品と言ってもピンからキリまであるし、時代と共に薄汚くつまり劣化して行くから、泰西の名高い画家の作品だと言っても必ずしも価値が高いとは思えないものもある。殆どが風景画静物画であったのも物足りなかった。画家の力量が判る絵は人物画である。
私を東京まで出かける気にさせたのは、実は絵画ではなくて、復元小袖である。丸紅のコレクションに「ふしみ殿(淀君)御あつらえ」と墨書のある小袖片(見頃)があり、なおかつこの小袖のもう片方の見頃が別のコレクターの手元にあったので、当時の技法で忠実に小袖を復元した。その過程が判るように復元途中の半製品も展示され、また過程をビデオにより説明するコーナーがあって分かり易かった。
以前に佐倉の歴博で小袖展を見た。京都の美術商の手になる膨大なコレクションだった。いつぞやテレビで阪神野村監督のふるさと紹介があって丹後縮緬の衰退ぶりを知り、衝撃を受けたことがある。昨年の秩父夜祭見物の宿舎は湯沢であったが、まさに「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」しかしバスガイドは魚沼コシヒカリの説明はしたが、同じ地方の、「島村」が見て歩いた小千谷縮の紹介は全くやらなかった。反物を雪に晒すという風景はガイドが紹介できるほどの風物詩ではなくなっているのかと思った。かっての織物の中心地はみんな疲弊し、後継者不在に陥っている。人材が組織的に再生産されている土地がおそらく京都だけになった今日ではなおさら、美術価値のある小袖類は、京都の職人達の目にいつでも触れる場所に置いておくべきと思った。
今回の復元も中心は京都の友禅画家と職人である。仕立ては東京、染めは群馬、糸は滋賀だそうだ。一つ一つの工程はそれぞれに重要ではあるが、美術品としての出来映えは下絵と絞りの上手下手に掛かっている。私の着物美術品京都集中管理論は正しいのではないかと今も思う。美術を受け継ぎ発展させる直接の担い手は職人であり芸術家である。学者さんや愛好家はその次の立場である。その友禅画家・松井青々氏は京都市立芸大日本画科の出身だった。国立でなく市立であるところに京都の伝統に対する心構えを見る。今横浜そごう美術館でその大学日本画科出身画家作品による展覧会をやっている。私は10年ほど昔に東京で一度見ている。市立でも冠たるものである。
辻ヶ花染めは歴博の小袖展の時に少しは勉強したが今一判らなかった。判らないはずで、松井氏の談話にも謎が多いと書いてある。本にはどこまで判ってどこまでが不明か明確にしていないから、文字だけが頼りのものには何かぼんやりした印象しか与えない。今回の復元はその過程が詳しく追っかけられていて、今後の定説になりそうである。
薄く綿入れした着物はやはり着ている人をふっくらさせたであろう。身の丈は今の標準よりはずっと小柄のようだ。縦中心線の左右に連続性はあるが異なる大柄の模様を、黄味が抜けきらない紅花の赤と、藍と刈安の重ね染めによる緑で彩るデザインは私どもの着物に対するイメージとは大分かけ離れている。時代の流れもあったろうが、半分は注文主の自由奔放な性格から来るものであろう。想像される黒髪を垂らした淀君の小袖姿は、ちょっとNHK「葵・徳川三代」の淀君とは違うようである。

(2000/02/04)