雪の進軍


たとえ一日二日であったも、旅は心の中にその土地を身近にさせる何かを残してくれるものだ。昨年秋に八甲田山十和田湖を通る旅をして以来、天気予報を見る目さえそこと結び付くようになった。正月休みに何回目かの映画「八甲田山」の放映に見入った。しばらくして新田次郎の原作「八甲田山死の彷徨」を読んだ。
映画の高倉健は雪中の徳島大尉を凛々しく演じてまさにサマになっていた。吉永小百合との「動乱」もそうだし、広末涼子との「鉄道員」もその系列である。弘前連隊から十和田湖八甲田山青森のコースを歩く雪中行軍実験小隊の隊長である。同じ師団の青森連隊は同じ時期に八甲田山田代温泉までの往復を企画した。こちらは中隊規模だった。弘前側の成功に対し青森側は、あと2kmで雪中に迷い大半凍死の大事件を起こす。日露戦役を直前に控え陸軍は厳寒冷地研究に真剣であった。
遭難理由の筆頭に挙げなければならない事実はたまたまこの明治25年が大寒波襲来期だったことである。旭川が-41度を記録し、以降この記録が破られたことがないと北海道旅行で聞いたが、その時に雪中行軍をやったのである。今にして思えば、豪雪地行軍がそもそもの間違いである。冬の満州は極寒の地だが豪雪の地ではない。ただ当時の情報網でどれだけ満州の冬を把握できていたか不明である。
それはさておくとして、事件の人災的側面も否定しようがない。中央事務上層官僚の上向き姿勢が現場の慎重論を顧みなかった。第2の理由だろう。どこまでが推測か判らないが、小説では、連隊長間の約束事が絶対視され実施に至る経過が示されている。徳島大尉はそもそも寒中の八甲田山踏破に反対であったとされている。彼は冬の岩木山行軍を既に経験していた。山地で身の丈を越す雪の中体力を消耗し尽くして死に至る最悪の状況が、ある程度見えていたのであろうか。責任の取り方も救いがたい。師団長も旅団長も連隊長も参謀長も、あれだけ死んだ企画だったのに、責任を取らなかったし取らされなかった。中隊長の現地自決、行軍同行大隊長の救助後の自決で責任問題は終わった。作戦も責任も後世のインパール作戦を髣髴させる仕儀である。
第3の理由は指揮官の精神主義である。青森連隊は大隊長発案の大隊本部同行を許可した。連隊の立前上の指揮官は中隊長だったが、実際は大隊長が命令した。中隊長は実行前に試験行軍を行って明細案を提出している現場熟知者である。中隊長が知性肌で、大隊長が豪傑肌と描かれている。中隊長は運命を分ける判断で大隊長の精神主義に押し流される。案内人不採用や猛吹雪中の強行前進などで次々に不一致が出る。
第4の理由は、これこそ研究目的だが、装備不良がある。弘前と違い青森では実験隊の発令が遅れ、隊員個人は殆どデータ無しに思い思いに準備した耐寒装備もあったようだ。指先の凍傷でボタンが外せず衣服内で小便をし、それが股間の凍傷を誘って凍死に及んだ兵もいたという。案内人の代わりを努めるのが地図とコンパスである。山中で磁石が効かなくなり行軍隊はめくら同然になったと小説のあちこちに出てくる。物理学上は鉄の磁石が磁気を失うのはキューリー点770℃以上である。磁石が効かないとはどんな現象か。ご存じの方は教えて下さい。
映画と小説を比較すると色んな相違点に気付く。一番大きな差は民間人と軍人の交流である。映画では努めて暖かく描いている。弘前隊は、十和田湖から十和田市に抜ける山道を無事踏破したとき、女性案内人に最高の敬意と謝意を示す。だが小説ではあくまで日当50銭の日雇いに過ぎない扱いである。どこでも軍人は案内人を強引強圧に目的に従わせようとする。案内人を拒絶した青森隊は村人の申し出と助言を案内料目当てと罵倒する。民家を宿泊所化し食料を奪うわけではないが徴発する。村民は表面は熱烈歓迎だが、ギリギリで生活する厳冬期に随分と迷惑な行為だったと言う。士官は殆どが士族だった。民を見下ろす姿勢はそんなところから来ているのか。
民間人が軍を畏怖していた端的な証拠は、弘前隊最後の7人の案内人のその後である。彼らは青森隊遭難の現場第一発見者である。しかし遭難を軍の機密と考えた徳島大尉は、迂闊に漏らせば獄舎に繋がれると彼らを脅し口を封じる。彼らが遭難を証言したのは昭和5年であった。すでに徳島大尉他関係将校は大半が日露戦役で戦死していた。
小説では10m先が見えない猛吹雪が前進を遮る最大の難敵になっているが、映画では映像を作る上で無理だったのであろう、吹雪の迫力は感じられなかった。それから、事件によって表面化する連隊対連隊の強烈な対抗心が、弘前隊に対する青森側救援隊の冷遇ぶりと弘前隊が運んだ遺品の2小銃のその後によって示されるが、映画では殆ど省かれている。非難世論沸騰と皇室利用の慰撫策、公式報告をしなかった取調委員会など歴史として価値ある事実は終章に記載されているが、映画では全てカットされた。死亡率は兵卒が士官の6倍以上である事実、遭難者墓地にも階級制が敷かれていることなど読んで心に残る終章だった。その前の大隊長自決のくだりは映画の最後の見せ場にもなった。これが日本だったと遠くなった昔を今一度思い起こさせた。

(2000/01/22)