柿食えば


正月始めに柿を生で食った。生来の柿好きだが、もう正月にもなると生柿はいけない。柿は出始めて最盛期まで1ヶ月ほどは大概の安物でも結構美味いが、それ以降は名が通った柿でも味がだんだん落ちて行く。甘みは程々に保たれる。しかし渋みとかとのバランスが崩れている。それから大切な点は歯触りを含めた口腔内部の物理的刺激感覚で、もう何か柔い反面繊維っぽく、柿のシーズンは終わったと思わせる。正月の干し柿は保存食でもあろうが味覚から云っても正解である。ハウス栽培とか輸入あるいは冷蔵保存で季節感の起源では無くなってしまった果物が多い中で、柿は桃などと同様に相変わらず四季の移り変わりを感じ取らせる果物である。奈良には柿の葉鮨と言う鮨がある。奈良と言っても五条とか吉野の方の押し鮨である。今はいろいろのネタを使うようだが元々は鯖鮨だった。葉は日持ちさせる目的だったようだ。葉自身の貯蔵ができるようになってからはどの季節でも売られている。
柿は英語でもカキである。a (Japanese) persimmon tree とも言うそうだが。辻井達一著「日本の樹木」には正真正銘の日本の果物で、原産地に相応しく品種が実に多いと記されている。私が柿好きなのは原風景に柿があったからだろうと思う。一番微かな風景は母方の本家の囲いの中に何本かあった柿木である。小さかったからそう思ったのかも知れないが、大木で秋には鈴なりであった。手間の掛からぬ割に収穫の多いこの果物は、農山村の貴重な栄養源であったのだろう。私は丹波だが、丹波だけに限らず柿は日本全体の原風景であり続けた。ただ北海道は別らしく「日本の樹木」にそう書いてある。壺井栄原作木下恵介監督の松竹映画「二十四の瞳」で高峰秀子演じる大石先生の幼い娘が木に登り若い柿を握ったまま転落し医院に担ぎ込まれる。このシーンは戦後の食糧難の象徴化具象化であったが、一方ではいかに柿が身に付いた風景であるかを示すシーンでもあった。もっと古い逸話としては、石田三成が柿をタンの毒と言って食わなかった話がある。NHK「葵」にも第1話に出てきた。タンとは胆(肝臓)ではなく痰のようだ。司馬遼太郎の「関ヶ原」ではそうなっている。胆でも痰でもその頃の迷信だろう。これも三成処刑の季節を物語る印象深い話である。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を知ったのは、もう丁度半世紀以前の高校時代であった。その内に忘れてしまったが、大学同級で今も賀状をくれる友人が、東北から来た友も入れて奈良に出かけたとき口ずさんで以来、柿を見ると思い出すようになった。鐘が日夜聞こえる風景の中には住んだことがないためか、私にはこの俳句の鐘の音の比重は軽く、色づいた鈴なりの柿と遠くにかすむ法隆寺と言った印象で、非常に絵画的だから多分蕪村の句と思っていた。だがご承知の通り正岡子規の句である。それにインターネットで見た解説によると、その頃は境内の池の畔に柿茶屋と言う茶屋があってそこで詠んだ句である。目の前に建物が並び小さな池に近くの鐘の音がグワンと走る。大分私の印象と違っている。私の印象の方がずっと美しく雄大で、解説を読んで損をした気分だった。
「くへば」を「くえば」とするのはまだしも「食えば」と書いたり、「鳴るなり」を「なるなり」と書いたり、小さな池の名「鏡池」を「鐘池」にしたり、インターネットの記事もガイドブックの記事も随分乱れている。この句があまりにも人口に膾炙し過ぎ、法隆寺が著名過ぎるせいなのか私は知らぬ。たった17文字の文学である。一字でもおろそかにしては困る。実は私も「食えば」と間違って覚えていた。思いこみはこんな結果を生む。言葉である間は口にした瞬間に消えるが、文字にすると永遠に残る。だから昔は一般に文字にするときは慎重だった。活字に対する信仰はそんな文化から生じた。だが、今はもっと軽薄なのも多い。「文字の軽薄化」はただでさえ選択に困るほど多様化する文化の中で亦一つ選択の基本を疑わねばならぬ事になり、困った風潮である。

(2000/01/11)