
- 池袋の東武美術館で上村松園展を見た。本年の千葉県展(県立美術館)で当世の日本画を見てすぐだったせいか、あまりの腕の違いに感嘆するばかりであった。県展だって優れた技量の持ち主が精魂傾けて描いたはずだが、違いすぎるのである。あれほどの絵描きになると遠近法無し、陰影無し、濃淡も無し、限られた岩絵の具、あとは線とぼかしつまり日本画の制約の中で十分に美を描けるのだと判った。没後50周年だそうである。
- 松園が世に出たきっかけはイギリス皇太子のお買上げだったそうだ。日本皇室でないのは残念至極である。皇室にある彼女の作品「雪月花」は'90年の即位記念特別展で見たが、彼女はそのときはもう折り紙付きの作家に成長していた。女流の絵描きなどいなかった時代に、それだけで苦労だったと本人が述懐する時代に、皇室がどなたか一員でよいから具体的支援の「意思」表示をしていたら、日本文化の随一のスポンサーとして誰もが納得して敬愛する顔の見える皇室になったろうにと思う。「雪月花」献上の頃から顔のない神への道を天皇が、これまたご「意志」とは無関係に、進まれるのだから皮肉なことである。昭和天皇の私語録には随所に反軍閥、反大戦のお顔が見える。しかし公人としては我々には一度もそのお顔をお見せにならなかった。我々の父、祖父の代は信じて疑わず大戦を闘い命を落とした事が悔やみ切れぬ。話を戻すが、この皇太子お買上げ品はどんな作品なのか一度も出品されたと聞いたことがない。一度拝見したいものだ。
- 展示品の中に鴨沂高校所有の「夕暮」と言う作品があった。鴨沂高校は当時京都府立第一高等女学校で男子の一中に並んで京都の女子の中等教育の名門であった。戦争が始まった年の作品である。夕暮れて手元が暗くなったのであろう、障子を開けて針穴に糸を通そうとする針仕事の母を描いたもので、良妻賢母教育の場にふさわしい作品であるが、この学校が所有するに至った理由を越えて、母の慈愛が伝わる名作である。鴨沂高校は仙洞御所の真横、松園は何度か住まいを替えたが最後は京都御苑堺町御門近くで大通りの丸太町通りから一筋奥まった位置だった。生まれたのが四条河原町に近いいわゆる町屋衆の中心地帯で、最後がこの御所近くの昔の高級住宅街で学校とは散歩の距離と言えそうである。鴨沂高校に収まったのはそんな縁が取り持ったのであろう。
- 松園の描く美人は典型化された日本美人で顔立ちから体の線までどの絵でもあまり変わらない。個性的でないのが最大の不満である。それでも多分狂女を描いたと思われる「花がたみ」の女は美女ながらまことに妖しい雰囲気の顔立ちで僅かな手加減でたちまちに能の世界へ誘う画才には感服する。そのころ彼女は精神病院によく出かけていたという。平安朝の絵物語、室町時代の能装束、江戸明治大正昭和と画題の女性の時代背景は1000年にわたっている。衣装の美の焦点が後世ほど帯に集まってくるのが判る。今やっている歴博の小袖展を見るときの一つのポイントである。
- 所有者を見ると随分と分散している。数が多いのは松柏美術館である。いつだったか、京都市立芸大110周年記念の日本画展を見たとき、松園の「娘」が個人蔵として出品されていた。今回の展覧会では松柏美術館蔵になっていた。公的機関に渡っていて良かった。セザンヌかゴッホか忘れたが、バブルの時に何10億かで買って、はじけたときに半値以下で外国人に引き取られた某会長所有の絵もあったから。インターネットで調べると、この美術館は奈良近鉄学園駅近くにあって、松園・松篁・淳之の上村3代の絵画を収集展示している美術館で、近鉄がバックアップしているようだ。
('99/11/04)